松本 春野(まつもと はるの) 絵本作家、イラストレーター いわさきちひろさんがおばあ様というご家系で、絵画や絵本が日常にあったのかなとイメージしていますが、いつ頃から絵本作家になろうと思われたのでしょう? 家が美術館(ちひろ美術館)でしたから、閉館後はそこが遊び場。毎日絵本と触れ合う環境でした。絵を観ることは好きでしたし、他の美術館にもたくさん行きました。子ども時代は字を読むのが苦手で、小学校高学年になっても読書感想文が不得意な私に、母は映画で名作を観ることを勧めました。結果、私は映画が大好きになって、特に自分と同じ子どもが出てくる物語に夢中でした。子どもが大切にされている世界を観ると、幸せな気持ちになります。ある編集者から、私の絵は映像的だと言われましたが、それは子ども時代から映像作品ばかり観ていたことが影響しているかもしれません。絵を描くのが好きなのは、自分が見たい世界をいくらでも作り上げられるから。子どもが自由にのびのび振舞う世界は私が一番見ていて幸せになる風景です。だから絵本の道に進んだのだと思います。 あと、さらに正直に言うと、私は競争が苦手で、正攻法で人生を切り開くのは大変そうだと思っていたのも大きい要因。一斉に同じテストを受けて点数で振り落とされる大学受験というシステムで勝ち残れる気が全くしなかったのです。一つだけがんばれるとしたら絵。それなら結果を残せそうな気がしたので、美大ならリアリティのある未来が描けた。それと物語が大好きで、ものを創る人への憧れがありました。学生時代から挿絵カットの仕事をもらうなど、イラストレーターの仕事をし始めて、卒業後も就職はせず、アルバイトと絵を描く仕事をし続けました。しばらくして、フリーランスでイラストレーターや絵本作家として稼ぐことがどれだけ大変なのか気がつき、なぜ就職しなかったのか!と、血の気が引いたのですが、もはや後戻りもできず、必死でこの道を進んできました(笑)。 子どもがのびのびする世界と絵が好きというのがハッキリとしているからこその選択でしたね。ご家族の中では絵のお好きさは抜きんでていらした? 7つ上の姉と、3つ上の姉がいる三姉妹に加え、2つ下の弟のいる4人きょうだいで賑やかでした。4人ともみんなクリエイティブ。本来、子どもはみんなアーティスト。それを上手に褒める大人が身近にいるかが大切です。我が家はその点、絵を描くことを、大喜びしてくれる親でよかったのかもしれない。 両親はかなりフェアな夫婦で性別的な役割分担はなく、父が朝食やお弁当を作り、母は起きてこないこともしょっちゅう。親がとにかく忙しくて子どものことは基本放任。あまり真剣に「これをやらないとこうなるよ」と言葉では教えてくれませんでした。両親は学生結婚でちひろ美術館を起業し誰かの下で働いたことがなく、『就職しなければいけない』という発想もなかった。 それでも長女や次女や弟はそれぞれの学校卒業後就職をしていましたが、私は絵を描いていれば何とか職業になるのだと思っていました。体当たりでやってきて今必死です(笑)。 着々と作品を手掛けられているなぁという印象がありますが、1月にも絵本を出されました。新作はどんな想いを込めた作品ですか? 依頼される作品はすでにテーマが決まっているものも多いです。私の名前で売れる絵本を作るには基本的にいわさきちひろのバックグラウンドを取り込んだマーケットを見据えてのこと。画風も合っている大人向けの作品を多く作ってきました。著作数を重ねるうちに、自由な制作を委ねられることも増えました。出産も経て、自分のニーズとして、子どもに読んであげられる絵本も提案できるのが嬉しい。最新作は、シンプルに「ああ、楽しかった」と、子どもが思える絵本を作ったつもりです。主人公はフィギュアスケーターのねずみ。雪山の水たまりをスケートリンクにして華やかなエキシビジョンを繰り広げます。私自身が子どもを通してもう一度のぞいてみたい世界を描きました。地下の街や、木のホラにお店があったりワクワクする風景は筆が進みました。幼い頃の私も、娘と同じようにキラキラした愉快で不思議な世界が大好きでした。子どもの憧れを詰め込んだつもりです。 ジャンルを決めず、作品ごとに違ったテーマや読者層に向けての絵本作りは、飽きません。 ストライクゾーンの絵本もありつつ、多面性をいかした創作です。春野さんにとっておばあ様のいわさきちひろさんは、どんな存在ですか? 女性として職業人としてアーティストとして、とても尊敬しています。両親が結婚して2か月後に他界(享年55歳)したので、私は会ったことはありませんが、あの時代に彼女は一家の大黒柱だったということや、互いに応援し合える精神的にフェアなパートナーを見つけたこと、何より仕事を貫けた意思の強さに憧れます。二度の結婚をしていますが、最初の結婚は自分の意志ではなく、愛し合えないまま夫が自死。二度目は7歳年下の男性と。もう一度自分で人生を選び直して添い遂げた。辛い経験をしたからこそ、あんなにも柔らかくやさしい絵を描けたのかもしれません。 職業人としては、どんなに売れても、仕事を緩めず、納得がいかなければ徹夜で仕上げることもあったとか。社会的地位も収入もある夫がいても、絵描きとして気を緩めなかったのは大尊敬です。自分の人生は自分のものという強い思いがあったのでしょう。そして生涯、守りに入らず新たな画材や画風にチャレンジしてきた。定年がない職業なので私も求められつつ変化し続けながら仕事ができたらと思います。私は怠け者なので、少しギャラのいい仕事が入ると、すぐに仕事を緩めたがりますが、そんな時は祖母を思い出して踏ん張ります(笑)祖母は、いつも社会に目を開き、画家であり、プライベートでは娘、妻、母である自分の視点で、必要だと思うときにしっかり語ってきました。そんな姿勢からも学ぶことは多いです。彼女の残した随筆「大人になること」は多くの方に読んでいただきたい名文です。 |
|