サヘル・ローズ 1985年イラン生まれ。幼少時代を孤児院で生活し、フローラ・ジャスミンの養女として7歳のときに引き取られる。8歳で養母とともに来日。高校時代に受けたラジオ局J-WAVEのオーディションに合格して芸能活動を始める。レポーター、ナレーター、コメンテーターなど様々なタレント活動のほか、俳優として映画やテレビドラマに出演し舞台にも立つ。 また芸能活動以外では、国際人権NGOの「すべての子どもに家庭を」の活動で親善大使を務めていた。私的にも支援活動を続け、公私にわたる福祉活動が評価され、アメリカで人権活動家賞を受賞。著書には『戦場から女優へ』(文藝春秋)、フォトジャーナリストの安田菜津紀氏との共著で写真詩集『あなたと、わたし』(日本写真企画)がある。 » twitterはこちら» Instagramはこちら» YouTubeはこちら 俳優のお仕事だけでなく、サヘルさんはさまざまな活動をされています。今回のご著書を執筆されるにあたって大変だったこと、うれしかったことなどお聞かせください。 すべての人を包み込める一冊に、というのが執筆する上で気を付けたことでした。例えば、誰かを置き去りにしない言葉遣いです。最初、母子家庭という言葉を使っていましたが、母子に限定すると父子家庭は置き去りに。どんなに丁寧に向き合おうとしても、言葉は無意識のうちに誰かを置き去りにすることに気づかされました。 この本を手に取ってくれた人が自分に向けられた「手紙」のように感じてもらえるよう意識しました。あえて話し言葉で、自分の個性を残すよう試行錯誤した結果、純粋に声に出して書いてみようと。読んでくださった方から『読んでいるとサヘルの声が聞こえてくる』という感想も頂いて、「聞こえる本」になれたのがうれしかったです。 まさにサヘルさんの声がそのまま聞こえるような。Twitterの150文字のような感情表現がわかりやすい各章ですね。とても読みやすく感情移入してしまいます。 私は幼少期に本に救われることが多かったんです。本は友達になれます。人って大変な時に、否定されたりすると苦しみを抱えるものですが、図書館や本は自分を否定しない。本は心地よく自分に帰れる場所だと思う。自分の書く本で、誰かにそれを伝えられたらいいなと。「頑張らなくていい」と伝える一冊になれました。 日本語が、日本人以上に上手です。勉強を重ねられた結果と思いますが、書くにあたって日本語の難しさは感じられましたか? 私は感覚で話します。日本語は漢字ひとつにしても意味があって、日本語を意識すると固まってしまう。日本語を大切にしながら、日本語という枠から出る挑戦ができたと思っています。国籍の違う人が母国語以外の言語で表現しようとする時、その人がどんな想いで言葉を残そうとしているかです。言葉の持つ皮膚感覚を感じてもらえたら。 「幸」という字が一本欠けると「辛」になる…なんて、よく観察していらっしゃるなぁと。サヘルさんにとって言葉とは? 言葉は生きるヒントをくれます。言葉の解釈ひとつで見える世界が変わるし、相手という字も「愛手」と漢字変換すると、目の前の人との向き合い方が変わる。みんな見えている世界が、たとえ血がつながっていても違う。異なっているのが素敵なのだと。説明するよりも、自分が提示することを大切にしています。それを見た次の世代が、生き方のヒントをもらってくれたらと。 3年ほど前にフォトジャーナリストの安田菜津紀さんとのトークイベントに伺って、サヘルさんと安田さんの言葉のキャッチボールが共鳴し合っていて、どんな幼少期を過ごされたのかな?とその頃からずっとお聞きしたかったんです。8歳で養母さんと来日されてどのような日々でしたか? アパートの家賃が払えずに転校することもありました。言語が違うので会話が追いつかず。植物で例えると、若い根っこが抜かれても酷く影響はしませんが、ある程度成長した根っこを抜かれると結構痛い。小学校高学年での転校は辛くて。日本の学校はグループが出来上がっている。人間関係が個人ではなく、グループとどう共存できるか? 私は幼少期から強制されることが苦手で、抵抗すると変人呼ばわりされ苦しんできました。グループが既に出来上がっていて、どのグループに入れてもらう?となった時、そこにエネルギーを使うのがすごく嫌でした。友達がいなくてハブられている。トイレに行くのも誰かと一緒じゃないとダメ。私って何だろう?と迷子になっている転校生でした。中学校ではもっと息苦しい状況に。国籍問題だけでなく、違った考え方をもつ人、強い個性への蔑みを受けました。「自分の居場所はどこか?」が私の永遠のテーマです。 |
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