香川 愛生(かがわ まなお) 1993年生まれ。東京都調布市出身。日本将棋連盟女流棋士。株式会社AKALI代表取締役社長。立命館大学文学部卒。15歳でプロデビューし、大学在学中に女流王将戦で初タイトル。2021年1月に女流四段に昇段。YouTubeの登録者数は17.6万人(2021年8月時点)。受賞歴は最多対局賞、女流棋士賞など。著書に『職業、女流棋士』(マイナビ出版)。 » 香川 愛生 公式YouTubeはこちら 15歳でプロデューをされましたね。将棋が好きになったきっかけは? 小学3年生の時に将棋と出会いました。まだスマホもない時代。当時私は髪も短くてボーイッシュで男子とよく遊んでいて、将棋も混ぜてもらって遊んだのが始まりです。そもそもゲームが大好きで、その頃はポケットモンスターやゲームボーイが流行っていました。今でこそオンラインで大勢と同時に遊べますが、当時は二人とか四人くらいの親しみやすい人数で遊んでいたので、1対1の対戦ゲームである将棋も自分にはしっくりきましたし、やってみたいと思ったのです。ゲームも、相手と対戦するものや、コツコツとできることを増やしてスキルアップするゲームが好きでした。将棋もそういうところがあって、対戦することと努力をすることの二側面で強くなっていくので、ゲームで適性ができたということかもしれません。 ゲームで適性ができたなんて素晴らしい。学校の科目で好きなものはありましたか? 高学年の時、先生がレクリエーションを考えるのが得意な方で、発案した遊びを定期的に取り入れていて。生徒は遊ばせてもらう立場で、一緒に遊びを考えはしなかったのですが、新しい遊びをするたびに「これはおもしろい!」とか「今回のはつまんない」と、いろいろ意見を持って、ありがたいことに早くからクリエイティブなことに興味を持てました。なので、既存の科目を勉強することより、新しい発見をより感じられる時間のほうが楽しかったですね。 きっとお勉強もできたのでは?と推察しますが、性格的にはどんなお子さんでしたか? 妥協せず、自分にも周りにも厳しい。負けず嫌いで意地っ張りで、男子と喧嘩することもありました。私自身マイペースで、好き嫌いがハッキリしていた。好きなことには一生懸命邁進でき、そうでないことは取り組むのが苦手。よく言えば集中力が高くて好きなことには何時間も費やすことができましたし、嫌なことは始めもしない(笑)。これは今もそうですが、周りの人がやっていることを真似したくない。流行っていることの逆をいきたくなる。自分だけがこれをやっている!と言いたい。当時は『ヒカルの碁』(注:ほったゆみ(原作)と小畑健(漫画)による囲碁を題材にした日本の少年漫画)が大ブレイクしていて、その影響で将棋よりも囲碁が注目されていました。「将棋を始めた」と言っても「囲碁流行っているよね」と返されたり。将棋の話をしても囲碁の話に持っていかれてしまうことが、当時はよくありました。負けず嫌い的にはそういうこともムッときちゃって(笑)。 負けず嫌いは大切な原動力ですよね。それがなくてはやり抜けないですし。小学生の頃から千駄ヶ谷の将棋会館まで通われていたのですか? はじめは地元の調布市で将棋を習っていて、母に送迎してもらいながら千駄ヶ谷の道場や子どもスクールへ通うようになりました。地域の道場を複数回りいろんな方に教わって、毎日将棋漬けで将棋のことを考えない日はないくらい。学校が終わると道場、土日も道場。生活の中に将棋がガッチリ入っていました。仕事帰りの人が来るかもしれない…と夜遅くまで待っていたり。母も一緒に待っていてくれました。夏休みも毎日将棋道場。将棋に夢中で、それを応援してくれる環境がありました。母は私が意地っ張りで言うことを聞かない子だと気づいていたので、やりたいことはすべてやらせてもらえた。母一人で育ててくれた上、仕事も辞めて付き添いも熱心にしてくれました。ねじ伏せず自由にさせてもらえ、頭が上がりません。 |
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