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目の前にあることをテーマに執筆する 作家 川端 裕人さん父子でカヤックを習っていたことも。論理派の長男は現在クライミングにはまっている。
勉強好き、学校嫌い。仕事好き、会社嫌い。父子でカヤックを習っていたことも。論理派の長男は現在クライミングにはまっている。

川端さんは1964年生まれですが、当時は子どもがたくさんいてマンモススクールで?何か習い事などはされていらしたのでしょうか。

いえいえ。ぼくが住んでいた千葉市は、県庁所在地なのに、少し奥地に入ると過疎のような地域があったんです。小学校は1学年1クラスでした。中学校になって、いきなり1学年13クラスと膨れ上がりました。習い事って何もしていませんでした。地域の野球クラブに入っていたこともありますが、その学年の生徒全員が担任の方針で学校の課外活動のサッカーに引き抜かれ、釈然としないままサッカーをしていた覚えがあります。結局は好きになっちゃったんですけど(笑)。休み時間に読書をしていると5、6年次の担任から禁止され、皆と外で体を使いなさいと促され、苦痛でしたね。ちょうどミステリーにはまりかけていたのに。そんなことがあって読めなくなった。だから、僕の作品はミステリー濃度が薄い(笑)。もっとその時期に基本的なミステリー小説を読破していれば!と思います。

本が好きな物静かな男の子。きっと勉強もおできになったことでしょうし、ご家族に対しても素直でいらしたのでは?

母も仕事をしていたので、親にはあまり細かく物事を詮索されませんでした。放置してもらえたので、あまり衝突はありませんでした。勉強では苦労はしませんでしたが、努力はしてきました。でも決して学年で1番なんて取る子ではなかった。1クラスしかない小学校でも上がいたし、13クラスになった中学校時代では学年でベスト10に入ったのは1度か2度だと思います。

何がきっかけで東大を受けようと?

最初は京大の原子核工学科に行きたかったのですが、僕が受験する年から出題傾向が変わったのです。僕は空間能力を使う「幾何」が不得意で、ベクトルで計算できる「線形代数」の考え方ならなんとかなるタイプなんですが、純粋に「幾何」センスを問われる問題が出て、まったくできなかった。と同時に、新左翼系や新宗教系のあやしい団体が、キャンパスの周辺で京大の原子炉の放射性廃棄物の問題でいろいろ騒いでいて、それを見ていると、科学や技術がこの社会の中でどんなものなのか、俯瞰できるような勉強をしたくなったんです。帰りの新幹線で、来年受験するなら東大の教養学科の科学史科学哲学を目指そうと決めてました。

その当時の記憶ですのにとっても具体的、記憶力がとてもいいですね。理数系で受験されて、入学後は文系の勉強も勿論されてマルチですし。与えられたものをこなすだけでなくて、勉強する欲求があります。それが知識の深さにつながっている気がします。それってDNAでしょうか。

僕の一族で、大学へ進んんだ「先輩」は叔父と従姉、2人いるだけで、それぞれ音大と美大です。探究心は昔からあったかもしれませんが、かつて日本テレビで報道記者をやっていた時に、バランス感覚が身に付いたものかもしれません。何かを語る場合、最低これとこれは知識として押さえておこうと。でも僕は勉強が好きでしたが、学校は嫌いでした。座っていないといけないのが辛くて(笑)。そういえば、仕事は好きだけど、会社は嫌いでしたね。どんなにいい人でも「上司」は苦手で……中には、会社に行かないと仕事ができないという人もいるかもしれませんが。

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