戸高雅史(とだか まさふみ) さん 1961年大分県生まれ。 ご出身が大分県ということで、もともと自然環境に恵まれた地域で暮らされていたのですね。子ども時代は野山を駆け巡るようなワンパク少年でしたか。 大分県と宮崎県の県境で、山々に囲まれた町の小さな商店をしている家庭で育ちました。まだ山へ登るなんてことは思いもしなかった頃から、西の山に沈む夕日が美しくて、いつも眺めていた記憶があります。一人でぼんやりした時間を過ごすことが多かった。15歳で高校へ通うため実家を離れて下宿生活。当時はそういう仲間がたくさんいたのですが、初日はさすがに寂しくて涙で枕を濡らしました。その頃は自然というキーワードではなく、フォークソングの音楽を愛して、歴史小説を片っぱしから読破。エネルギーがあるのに、ぶつけどころが何かわからない。ただ、男だったら夢を成し遂げて生きたいという熱い思いがある時代でした。 割と小さな頃からスポーツ万能だったような印象がありますが、そういうことでもなく。山へ惹かれるようになったのはいつからなのでしょう。 18歳に転機がありました。高校卒業後は教職につこうと福岡教育大へ進学。たまたま下宿先に「探検部」の先輩が住んでいた。洞窟探検や鍾乳洞、川下りや登山というアウトドアスポーツをするクラブでした。そこで、自分にとって未知なるものへ挑戦することに目覚めたんですね。体験を大切にする世界で、18歳になってもう一度3歳にかえったような気になりました。泥だらけになって水浸しになっていろんな体験をすることで、自信を取り戻して何でもできるような気持になって。小中高と目立ったタイプでもなかった僕が、何か枠を外して生きることに気づいた。 ヒマラヤを目指すことになったのは、もっと後で? 探検部の先輩から、新田次郎の「孤高の人」という本を読んでみたらと渡され、その内容に感銘を受けて。ある登山家について書かれた本なのですが、一つひとつのシーン、冬の北アルプスの情景の描き方がスーっと胸に入ってきた。それで大学時代はまず九州中の山を制覇してから、大学のクラブ活動だけでは飽き足らず社会人の山岳会にも入部し、23歳の大学院2年目の時に山岳会の仲間11名でヒマラヤのアンナプルナⅡ峰(7937m)を目指しました。 いかがでしたか?初のヒマラヤ登山は? 打ちのめされました。雪崩に2度ほど遭ったり、死を間近に感じた瞬間が何度かありました。こんな危険にさらされて頂上に立って何の意味があるんだろう。こんな山登りではなく、生徒たちと楽しい山登りをしようと決めたんですね。それから半年間くらいは静かに暮らしていたのですが、窓の外に見える山を見るたびにため息が出てしまう(笑)。このまま山をあきらめていいんだろうかと。甘くない世界だというのはわかっていましたから、自分がそこに行く人間としてふさわしいのかどうか確かめたかった。そうしないと納得できなかったんです。大学院を卒業した年に、アラスカのマッキンリーという山へ一人で向かいました。25歳の時でした。 |
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