増田こうすけ さん 1999年、「月刊少年ジャンプ」(集英社)5月号掲載の『夢 -赤壁の戦い-』でデビュー。 相当おもしろい作品なので、子ども時代の過ごし方がとても影響あるんじゃないかと思っています。増田さんはどんな子ども時代を送られて? 3歳頃まで愛知県で育ち、それから三重県に引っ越しました。子どもの頃は大人になりたくなくて、小学校の中学年で僕の身長が祖母の背を抜いた時とても悲しかった。昔から僕は体が大きかったんですね。2歳上に姉が一人いて、建築関係の仕事をしていた父が小4の頃に亡くなった。母が牛乳を扱う会社に勤めていたので、僕も牛乳配達を手伝っていました。子どもの頃から絵を描くのが好きでしたね。写生大会でよく入賞していました。 当時の絵をいくつか拝見しますと、とても丁寧に描かれていますしテイストは今描かれているマンガと通じています。いつ頃からマンガを描き始めたのですか? マンガを描き始めたのは大学へ入ってからです。小さな頃から絵画コンクールで入賞していたので、自分は絵がうまいほうだと思っていましたが、漫画家になってこうも絵が描けないものかと(笑)。その落差が激しかった。子ども時代は主に漫画は読むばかり。ノートや教科書へ落書きはしていました。 男子の中では、おとなしいタイプだったんでしょうか? おとなしかったんですが、仲の良い友達の前だとテンションが高かった。笑わしたり笑わさせられたり、ふざけるのが大好き。ところが仲良しの友達の中に学年が違う顔見知りくらいの子が一人でもいると静かになってしまうという(笑)。今でもそうですが、人見知りが激しいんです。 何か子ども時代に習い事をされていたことはありましたか? 愛知県から三重県へ引っ越した幼少期に、スイミングスクールに通っていたことがあります。それが一番最初の習い事と記憶していますが、ほんの数か月で辞めました。スイミングスクールで履く水泳パンツって、競泳用でピチピチなんですね。それが子どもながらに恥ずかしかった(笑)。小学校に入ってからは習字を。これも10か月くらいで辞めました。サッカーチームにも入っていましたが、さぼってばかりでした。高校生になって美術系大学へ進もうとデッサンを習いに行きました。将来的に、デザインとか絵をいかせる仕事に就ければと思った。 習い事で何か早々に芽が伸びたというよりも、好きだった絵をあたためてきてお仕事にされたんですね。 大学時代も具体的な仕事を思い描いていたわけではないんです。就職活動も真剣にやらなかったですし。卒業してから「どうしよう」って。カメラマンのアシスタントやデザイン事務所とかに面接に行ったことはあります。でも採用されず、アルバイトばかりの日々に。そんな時にふと「家で仕事ができるといいなぁ」と。あんまり人と関わりたくないしなぁ~と(笑)。 |
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