一連のお話伺っていますと、何かに導かれている自然の流れがあります。NYへ移住され10年経った2001年に同時多発テロに遭遇されました。 同時多発テロを自宅アパートで目撃した時は、最初は火災か?と思っていましたが飛行機がビルに突っ込んでこれはただごとではない…と。目の前の現実が衝撃で呼吸することすらままならなかった。それからしばらく、生きることさえも辛くて、家に引きこもり、1年間は何も撮れませんでした。そんなある日、本屋でアメリカのサウスウエストの風景写真集を手に取りました。現代のアメリカ合衆国になる前のアメリカの原風景とネイティブアメリカンの聖地を写した写真集でした。直感的に一年間触ることも出来なかったカメラを持って彼の地へ飛んだのです。 それが世界の聖地を巡るきっかけとなった最初の一歩となったのですね? (著書「伊勢神宮」より一部抜粋)そこで見た水のある美しい風景や自然と一体になった聖地を巡る間に、体の中からエネルギーが泉のように湧いてきて、いつしか私は夢中でそれらの風景をカメラに収めていました。硬く凍りついていた心が、大自然のたおやかな力によって、どんどん解凍されていくかのようでした。世界中の神様は人々をどこに導こうとされているのか、この目と肌で感じたい…。 そして世界の聖地を4年間撮影され、作品を東京・銀座で個展された際に、今度は「日本人なら伊勢神宮の式年遷宮を撮るべき」と勧めてくださる方がいらしたとか? 「調和の鍵」を求めてイスラエル、パレスチナ、トルコ、ギリシャ、アラブ首長国連邦、フランス、ウクライナ、カンボジア、チベット…と世界中の聖地を巡りました。日本人として出会えた伊勢神宮は、一歩足を踏み入れた途端何かが違うと感じました。「ありがとうございます。もし、何かできることがありましたら、どうぞ私の体を使ってください」と祈る自分がいました。それは、テロでビルが倒壊する時に神様に誓ったことでした。二千年の歴史を支える年間千五百回にも及ぶ祭典。そして千三百年にわたる式年遷宮の継承。すべてのものに神様が宿るとする私たちの感性は「人は自然に生かされている」ということを教えてくれます。伊勢神宮という存在は、人間が自然に寄り添い調和する究極の姿なのだと思います。それは、宗教というより、地球、宇宙の哲学のような気がしています。 伊勢の神秘的な写真とそれらを表現されている文章は、いつの間にかこの地を美織さんと共に旅しているような気持ちになれます。では最後に、これからの日本を背負うティーンエイジャーへ何か言葉を贈って頂けますか? 自分を信じてやり続けること。第三者からの評価ではなく、自分がどう感じるか?です。自分を大切にしてほしい。それが周りを大切にすることにもつながります。今は情報が多く、それを追っていないと不安が募るのかもしれませんが『自分にしかできない自分の井戸』を掘っていただきたいと思います。そこには、水がどんどん湧いてきて、枯れることはありません。きっとそれはすべての人が持っている泉なのだと思います。 ---ありがとうございました! <了> ●稲田 美織さん 写真展 開催情報
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