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子どもの心を元気づけ、励まし、夢を叶えるペップトークの第一人者 岩崎由純さん実家は商店を営み、常に笑顔で挨拶を欠かさない幼少期を送った。
笑顔と言葉がけを大切にする家庭環境。実家は商店を営み、常に笑顔で挨拶を欠かさない幼少期を送った。

ペップトークを普及される岩崎さんですが、幼少期はどんな少年時代をお過ごしでしたか?

文房具やカメラが大好きで、当時高価だったCROSSのボールペンにLifetime Warrantyと刻まれていて…これは【永久保証】という意味なんですよ。小さなペン1本を永久で保証してくれるなんてアメリカの会社ってすごいなぁ~と本物を知るきっかけになりました。僕は性格的には負けず嫌い、勝ち好きです。悔し涙を流すよりも、今度は自分が絶対勝つんだ!という根拠のない自信があった。楽観的、目的志向が強く、何があっても『これはきっと何かの役に立っている』と考えられる人を英語で『オートテリック』と言います。もともとオートテリック・パーソナリティーなんですね。何とかなるわい…と楽観的。辛いことや落ち込むことも人並みにありますけれど、長く引きずったり、恨んだりしないんです。

自己肯定感が高かったのですね。ずっとスポーツをされてきて、そのマインドは常に活かされたのでは?

中学では最初、野球部に入部して、ジャンプ力が認められて中1秋からバレー部へ転部して頑張りました。当時、走幅跳の大会に駆り出されて中国地方大会に出場。そこで肉離れをしてしまい、テーピングをしてもらった。その時、処置をしてくださった人がアスレティック・トレーナーという職業だと知って、こういう仕事をしたいな!とイメージしてたんです。高校では陸上部に専念。走幅跳は県で2位。三段跳は県高校新記録を作りました。その後、記録は4年で破られ(笑)。大学は一般入試で日体大へ進学。高校時代に大怪我をして、アスレティック・トレーナーという仕事に就きたくてこの学び舎へ。まだ日本にトレーナーという職業が知られておらず、こういう仕事やテーピングという処置もバレーボールマガジン、陸上競技マガジンと2冊定期購読していた雑誌から知りました。日体大を卒業後、アメリカの大学院で2年勉強し、その後1年仕事をして合計3年間のアメリカ生活で多くのことを学びました。

学校や仕事での知識だけでなくて、パーソナリティーとしてペップトークを普及されるようになった原型が当時にあるのでは?

実家が商店(今でいうスーパーマーケット)をしていた関係で、常にお客さんが出入りしていて、学校から帰宅しても「ありがとうございました!」と笑顔で挨拶するのが当たり前な環境で育ちました。忙しい時は店を手伝うのも当然の役目。自分にとっては、笑顔で挨拶をするのは普通のことでしたが、大人になってみると笑顔になることや、ありがとうを伝えることが苦手な人っていっぱいいるんだな!と気づいたんです。

なるほど!そうした家庭環境があって、感謝を伝えることや笑顔でコミュニケーションすることが身についていたのですね。

アメリカの大学院では、最終目的地へ到着するまでマップを使って組みたてるように、伝えたいことや表現したいことを制限時間内にプレゼンテーションするスキルを徹底的に鍛えられました。アメリカでは小学3年生くらいからプレゼンする力が身につきます。そんなプレゼンの達人ばかりに囲まれて、僕は22歳で初めての挑戦でした。バレーボールするスヌーピーのイラストを描いたりして皆の驚きをプレゼンで得られれば掴みはOKでした。英語は堪能ではないけれど、いつも笑顔でニコニコと誰とでもコミュニケーションをしようと努めていたので『ハッピー』というニックネームで呼ばれていました。

高校では陸上部。走幅跳は県で2位、三段跳は県高校新記録を更新。

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