■スズキさんの絵には、絵本の中だけでおさまりきらないエネルギーがありますね。その表現の源にあるものって一体何でしょう。そんなお話を今日はじっくりお聞きしたいと思って参りました。まず、幼少時のお話を聞かせていただけますか?
僕は、戦後の復興期でベビーブームと呼ばれる時代に静岡県浜松市で育ちました。60人1クラスが1学年6クラスあって、車もまだそれほど走っていなかったから、至る所に遊び場所がありました。僕の母は病弱な人で、上に兄、下に双子の妹がいたのだけど、早死にしましてね。お乳も僕はヤギの乳を飲んで育ったんですよ。とにかく絵が好きで、描いていればご機嫌な子どもでした。右手にクレヨンをもって生まれてきたのだと思っています。
■たくさん子どもがいる中で、スズキさんはどんな存在でした? 小さくて黒くて痩せっぽちな子でした。背が伸びたのは高校生くらいの時、一気にね。貧乏だったけれど、よその家も同じような環境でした。当時の子は得意技が何かしらありましたね。それって素晴らしいことだったんじゃないかな。僕はね、勉強も運動もカラッキシ駄目でした。教科書の空白は全部絵で埋め尽くしていましたね。そんな子でも外で暗くなるまで遊んでいました。
■長身のスズキさんからは小柄だったなんて想像できませんね。学校を卒業する頃には、もう絵本作家になろうと思われていましたか。 高校卒業後に京都の染め物問屋に弟子入りの仕事をやらないかの話があったんだけど、厳しそうなので断りました。それから上京して、赤坂の高級割烹料理屋で住み込みで勤めたんです。何しろ電話が鳴っても出るのが怖くて、屋根裏で震えながら布団かぶっていました(笑)。その当時、18歳頃が一番冴え渡っていました。アイデアが浮かんできて、頭のてっぺんが傘のように割れて絵を描き始めました。
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