お話し伺っていると生粋のサラブレッド!反抗的にならなかったのはお父様の指導力ですか? 反発したのは20歳を過ぎてからですね。今まで自分が与えられてきたものが、本当にこれでいいのか?むしろ今自分がやりたいことは何なのか?ということを検証したくなった。クラシックという伝統を守るのと、自分が新たに思い描いている世界観をはみ出しながら構築していくこと。探求とか挑戦になるんですが、僕の中で欲求が出てきた時に、王道を教えてくれる父に対して、もっとこうした方が良いという意見をしたくなったのが初めてでした。 それでもギターの師匠としてお父様をリスペクトされた点に、天才と言われる所以があるのでは? 家では従順にしていましたが、外では結構やんちゃなガキ大将でした。サッカーも大好きで続けていたので、音楽とスポーツをやっていれば、勉強はできなくても大目に見てくれ何でも許してくれました。全部ができなくっていいという父で、僕が好きなことをやっていれば褒めてくれたので、最高の理解者でした。レッスンの時は怖くても、終われば父に戻っていて、そのバランス感覚は絶妙でした。特に、音楽を言葉で表現するのがうまかった。例えば、演奏表記にある『憂鬱』という意味も、大人にならないとわからないとは言わず、子どもにもよくわかるように、その感情を解き明かしてくれた。何事も否定をしないで提案をしてアイデアを出してくれました。 たくさん取材してきていますが、お父様をそんなふうに表現される方って初めてかもしれません。大さんのギターはお友達にも知られた存在でした? 小学校でコンクール優勝してから、何歳までにこれをしてどうする…という目標を細かく決められたんですね。それは一つも狂わなかった。小学校の頃って将来の夢を必ず作文にしますが、僕は毎年ギタリストになると書いてきました。高校3年生の17歳でメジャーデビューしてアルバムも発売。『クラシックギター』という響きが何だか当時は気恥ずかしくて周りの友達には僕が何をしているか話さなかったので、バイオリンとかエレキギターをやっているらしい…と誤解されていたようです(笑)。 学校のクラブ活動なども所属せず、放課後はギターのために時間を使ってきたわけですよね? 練習のために、中学生の頃から父が学校送迎をしてくれました。それは全然恥ずかしいことではなく、むしろ練習に体力温存できたし、やるべきことに集中できたのでありがたかった。中学校に上がる頃、幼稚園からずっと続けてきたサッカーか、ギターかどちらか選ばなくてはならず、どっちを選んでもいいと父に言われた時、僕はギターを選んだ。そうしたからには練習しなければならないですし、周りの子と同じにしていたらダメなんだという意識がありました。プロのギタリストになるために、なかば使命感で独自の道を歩いてきました。父は流されやすい僕の性格をよく見極めていたのだと思います。 ⇒ [3]を読む |
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