これまでのお話し伺ってきて、その素直さはどうしたら培えるものなのでしょう? ただ好きで続けているだけでなく、結果が出ることが一つの励みになっていました。僕はコンクールで2位以下になったことがないので、誰かの背中を見たことがない。僕自身が演奏しなくてはならなかったし、自分で結果を出さないとならなかった。その時々のコンディション、技術をコンクール目指して持っていくのは、ストイックにならないとできません。スポーツと同じで勝ち負けがはっきりするコンクールがプレッシャーで、もうあの頃には戻りたくないという苦しい時期でした。ただ、やるべきことからは逃げられないという覚悟があったので、父の指導に素直に従うことができたのかもしれません。父との信頼関係は揺らいだことはありませんでしたから。 お父様との関係がとても濃かった一方で、お母様や他のごきょうだいとはどのような関係でしたか? 母は、友達に言うようなこともたくさん話せる相手。一番ワガママを言えたので、今は頭が上がりません。7歳上の姉は「私も早くギターをやりたかったけれど、お父さんが大(だい)に集中していたから割り込んでいけなかった!」と言っています。彼女は高校生になってから本格的にギターを始め、朝5時起床でずっとギター漬けの努力家。ギターが家族の共通言語だったので、うちは『歴史のない歌舞伎座』みたいなものです。 ご家族から離れて、イギリス留学をされて変化があったのでは? 20歳から3年間イギリス留学をしました。その費用は10代から貯めてきた自分のお金を使ったのです。父から初めて離れて違うイギリス人の先生についたのですが、あまりの違いに愕然。歴史ある学校ですから技術も素晴らしく厳格な先生でしたが、実は1年しか通わずに卒業していません。途中から語学学校へ通って、お金が尽きるまでいようとイギリスに滞在。なかなか父にも言いだせずに、帰国する1週間前くらいにようやく伝えました。ドイツに住む姉も卒業したほうがいい…と説得しに来たのですが、僕には卒業の意味合いがわからなかった。 自分なりの基準が既にできあがっていたのは素晴らしいですね。音楽活動で大切にされたいことは? 僕はクラシックギターの伝統を守っていく、という規格からは元々外れていたのかもしれません。小澤征爾(おざわせいじ)さんは「オペラとシンフォニーを体験せよ」と言葉にしていますが、とても共感するしギターにも同じことが言えます。つまり日常を描くこと、神に近づくこと。両立してクロスしてこそオリジナルの世界観がうまれるのだと思っています。それを探し続けて演奏しています。僕が演奏するインストゥルメンタルは言葉の表現以上に難しく、とてもハードルが高い。誰が聞いても僕のギターだとわかるような、木村大にしか出せない音を創っていきたい。死ぬまでに一曲でもいいから残したいです。今、少しずつ近づいていっているように思います。 ---ありがとうございました! <了> ●木村 大?コンサート情報
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