ご両親や先生は、雄大さんをどんな言葉で励ましてくださっていましたか? 父は「好きなことをやりたいだけやりなさい」という人。母は留学生や仕事をしている外国人に日本語を教える仕事を今でもしていますが、僕が小学生時代に海外赴任を3年間位していた時は寂しかったですね。父と姉が頑張ってくれていたのでバレエも続けられました。バレエスタジオの先生は厳しいけれど愛がある三姉妹。先生には練習に関することで「できません」とは言うことは許されず、とことん厳しかった。バレエではない時間は、母のようにいつも見守ってくれる存在でしたから母も安心して預けられたのだと思います。通っていたバレエスタジオは、大阪ではかなり有名ではるばる通っている方もおられたと思いますが、僕にとっては地元にこういう環境があったからこそ今の僕がある。家族には本当に感謝しています。 環境って大切ですね。中学、高校と大人の階段を少しずつ登り始める時にバレエの道へ進むと決められたのは、迷わずでしたか? いや、すごく迷いました。中学校ではバスケ部入りたかったのですが「筋肉のつき方が変わる」と母に止められ断念。それまで僕にとっては楽しいだけのバレエでしたが、コンクールに出場する目的でレッスンするようになるとこれまで会えなかったような人に会えたり、すごい体験ができたりで、バレエの別の側面や方向性が見えてきた。中学生の頃に僕って小さいなぁ…と思って、だんだん意識が変わりました。 中学生でそう感じたのは大人でしたね!高校受験とかも経てバレエ続けるのは大変だったのでは? 近所の公立高校へ通うつもりが思いのほか不合格となってしまって…電車で一時間くらい掛けて私立の男子校へ。しかも特進コースで授業も毎日7限目まで。夏休みは10日しかなかった。かなり頑張らないとならない環境で週4回のレッスンの上、毎日の授業。「あああ…逃げ出したい」という気持ちになりました(笑)。ですが、学校の先生もめちゃくちゃ厳しくて、怖かった。学校生活に危機感を覚えましたが僕は性格上、厳しくないと甘えてしまう。大学進学はせずにバレエの道へ進むと決めましたが、赤点も取らないように勉強はしっかりがんばれたのは、厳しい先生方のおかげです。 学校ではバレエをやっていることは周知の事実で、応援してくれていたのでは? いえ、あんまり知っている人はいなくて、コンクールで賞を頂くようになって少しずつ知られてきました。19歳でチューリッヒにバレエ留学する際も高校時代がベースにあったので心も体も厳しさに耐えられました。スポーツの名門校でもある男子校で集団行動の大切さも叩きこまれました。とはいえ特進コースだとバレエができなくなるので、高校2年生からは普通コースにクラス変更させてもらいました。 ⇒ [3]を読む |
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