先生のお話しのされ方は包容力があって心開いて語りたくなるのですが、小さな頃から温和な物腰でいらしたのですか? もともと話をするのが好きでしたが、大学時代に精神的に悩んでいる仲間と「語り合う」ことをよくしていました。合計10年間大学に通っていましたのでね。前半の5年くらいは語り合う経験を重ねて、その頃のことが自分のベースになったのだと思います。高校卒業するまでのんびりした香川県の環境で過ごしました。野山を駆け巡る子ども時代で、当時は塾もなくて、書道教室はあったかな。小学校は1学年1クラスしかなくて30名のクラスメートでした。最近になって遂に廃校になってしまい残念です。 のんびりした環境でお育ちになられて、今の子どもたちをどのようにお感じになられていますか? どんどん変動する社会の中で何よりも大事なのは、やりたいことを持てるかどうか。今の子どもがかわいそうだなと思うのは、「これがやりたい」という子が少ないこと。小さな頃はあっても、本当に進路を決めなくてはならない時には、「別にやりたいことはない」となってしまう。主体的な進路決定ができない背景をみると、親の価値観が優先され、その子の個性が腐食されている。もともとやりたいことがあっても、いつしか薄まってしまう。苦労してまで夢を叶えるより、これ以上面倒なことはしたくないと、親が示す舗装された道を進んでしまう。別にそちらに進みたいわけではないから、簡単にやめてしまったりする。親は子どもを誘導するのをいかに克服できるか?ではないでしょうか。 「愛着障害」を拝読して感じたのは、親の言いなりに従う良い子が、自我の芽生えと共に無気力になったり、気持ちを伝えられなかったりするように思いました。良い子が必ずしも良いわけでない、というか…。 たとえば強制収容所にいる人が、看守の顔色だけ見て暮らすように、親が安全基地でない子どもは、人の顔色に合わせるようになる。主体性をもてず、対人関係にも問題が生じやすい。本音を言ったり、自分の気持ちを伝えたりできない。家庭という収容所で、親という看守の顔色を窺いながら過ごす癖が身についてしまっている。ずっと強い支配を受け続けてくると、感情を失ってしまうのです。たとえ支配から解放されても、自分で何かを決めたりできなくなってしまう。そこから回復するのに、10年、20年かかることもある。それくらいマイナスの影響があるものなのです。 先生から子どもを育てる親へ、これだけは押さえてほしいというアドバイスをお願いできますか? 子どもの一番の応援団長でいてほしい。そのためには、子どもの安全基地になること。いちいち細かな口出しをして野次ったりするのはいけません。細かいことを言い過ぎると主体性を侵害してしまう。親がどれだけ自分を振り返ることができているか。何か問題が起きた時に、すぐ解決できるようなアドバイスや助言をしてしまう親は要注意です。もちろん子どもがそれを求めているのでしたら一緒に考えてあげればいい。子どもが求めていないのに、つい親が改善策を提示してしまうタイプは、仕事ができる人に多いのです。仕事ができる親が子育てでつまずきやすいのは、ビジネスと同様に問題解決をしたがるから。子どもが自分で問題解決できるようにするのが、いい安全基地。それには、求められていることだけに応えればいい。子どもが何を求めているのかをよく見極めて、ちょっと控えめに応えてゆく。常に過剰反応しないという心掛けが大切です。親の道は修行ですよ。 ---ありがとうございました! <了> 岡田 尊司 書籍紹介
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