ドイツでの中学校生活。多感な時期に異国でヴァイオリンも続けられたのはやはり好きだったのですね? 2度目のドイツでの3年間は、父の所属する楽団にいた日本人の方にヴァイオリンを教えてもらうことができました。小学校時代遊びで続けていたので、中学校時代はかなり本気でヴァイオリンに費やしましたが、辞めたいと思ったり、ヴァイオリンを手離そうと考えることはありませんでした。私は言葉で自分を表現することが得意ではなかった分、ヴァイオリンで表現していた。でも、父のレッスンは怖くて毎日恐怖を感じていました。 お父様が怖かったというのはスパルタ式だったのですか? 音楽に対する愛情や情熱が人一倍強いので、だからこそ言っていることができなかったり、気持ちが上がると声も大きくなって地団駄を踏み始める。それが怖くて私が泣くとさらに「泣いている時間があるなら練習しなさい!」となる。エンドレスなやり取りが続くと父の存在が怖い怖い怖い!でいっぱいに。学校を終えてから家の門限は夕方4時。少しでも遅くなると携帯の着歴がすごいことになっていました(笑)。 それに反発することなく、素直だったからこそ今があるのですね。 反発する隙すら与えてくれませんでした。でも、父は本気なら乗り越えなければならない高い壁がいくつもあることを教えたい気持ちがあったのだろうと思います。父がわぁわぁ言って台風のように去ってしまうと、父と対照的にふんわり流す母が「お父さんはただ怒っているのではなく、あなたのためを思っているのよ」とフォローしてくれて、バランスのいい夫婦でした。私は小さな頃から舞台で演奏する父の姿を見て育って、かっこいいなぁ!と憧れていたので、やりたいけれどできないもどかしさばかりでコンプレックスを抱えた自分が、まさか舞台に立てるとは思っていませんでした。 コンプレックスだなんて意外です。笑里さんは天が二物を与えている存在かと。 ヴァイオリンという楽器は、小さい頃から演奏すると細胞が記憶しますし、吸収力が違います。体の筋力を使う楽器だからこそ難しいところもある。独身の頃は、ご飯を食べる以外はずっと引きこもって練習していました。たまに息抜きのため買い物に出かけても、早く帰って練習しなくちゃ…と。自分には足りないところが多いと常に感じていますし、納得できない演奏をお客様に披露はできません。理想を目指して努力し続けないと、いい演奏は生み出せないものなのです。 ⇒ [3]を読む |
|