師匠によって入門試験は違うと思いますが、ラーメン販売でテストされたのはユニークでしたね!それからどんな生活になったのですか? 普通では考えられませんよね(笑)。とりあえず入門できて、半年から一年近くは見習い期間となります。その時に「木りん」という名前は頂きました。見習いは師匠の家に毎朝通って掃除、師匠の身の回りのお世話。楽屋入りをして着物を畳む練習、太鼓の練習、お茶の出し方、気の使い方など一通り学びます。それが済むと前座へ。僕が入門したのは二十歳の時でした。 それは厳しいしきたりがありそうですが、ご実家が相撲部屋をされていらしたからちょっと似ている点もあったのでは? そうですね。相撲部屋ではお弟子さんたちがいろいろされるのを見ていただけでしたが、今度は自分がする番となったので何となく自然に立ち居振る舞いができたのはありがたかったです。見習い半年と、前座4年間を経て、2013年24歳で二つ目昇進となりました。二つ目になると仕事の時だけ師匠のもとへ通い、あとはすべて自分でやります。僕は自信家ではなくて、控えめなタイプ。ただ、会社員になる自分は、思い描けなかった。毎日違う時間帯で生活をしたいと思っていましたが、無いものねだりで、今そういう生活になってみるとレギュラーがほしい!と思うわけです。 見習い、前座、二つ目と順風満帆にこられたように思いますが、そこには見えない努力もおありだったわけですね。 噺家という仕事は難しくて、どんなに話が上手でも笑わせられないこともある。笑いに必要なのは、話術とネタだけでなくキャラクター。それと高座に上がった時の雰囲気とか見た目でしょうか。僕は師匠木久扇があのような方なので、自由にできた。もしも古典落語を大切にされている師匠なら、何かのフォーマットに従わなければならなかったかもしれません。確かにそれは基礎で必要なことではありますが、僕にとっては木久扇だったからこそよかったと思えることがたくさんあります。 そういう出会いがあってこそのプロの道ですね。では最後に2018年、どんなことを目指していかれますか? 師匠は、噺家ではありますが商人の才もある方。とにかく売れなさい、という考え方。落語家として務める一方で、テレビに出たり、高座以外のところでもいろいろ挑戦をしたいと思っています。初の書籍もその一環で刊行されます。 ---ありがとうございました! <了> |
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