中3受験生の頃に既にご自身が没頭する世界を持っていたわけですが、単に好きで誰にも見せずに書いているわけでなく、思いをシェアできる行動力がありましたね。 詩の雑誌も「現代詩手帖」の他に何誌か投稿していましたが、読み比べているうちに段々自分のカラーがわかってきました。「現代詩手帖」と「詩学」の二誌に並行して投稿を続け、中学3年生の終わりに「詩学最優秀新人賞」を頂きました。その後も「現代詩手帖」に投稿を続けて、高校2年生の時に「現代詩手帖賞」を受賞しました。今思うと、人に読んでもらうことを当時から意識していて、それが執筆のモチベーションになっています。 ひとの視線を気にして書くとリア充的投稿が多くなりがちですが、文月さんはそれとは違い、恥じらいがあって演出っぽさがない。それは最初から? 視線を意識すると言っても、読んでくれる人の目を信頼しているのだと思います。作品を通して自分をよく見せたい、という気持ちはないです。私の場合、第1詩集と第3詩集とでは書いている意識も内容も違います。第1詩集はひとつの物語のような構成でまとめました。第2詩集は大学4年生の時にまとめたもので、カタログ的にいろんな詩が集まった一冊です。物語として成立する詩を書いていくことに関心があります。 詩を書くのに一番必要なことって何ですか? わからないことを怖がらないこと。昨年から本格的にNHK文化センターで「詩の講座」の講師を務めています。うまい詩は読者がわかりかける一歩前で終わります。いい意味で投げ出すというか、100%わからせなくてもいいという姿勢。多くの人は、過剰に説明してしまいがちなんです。読者自身にいろいろ想像してもらって、わからない余白を読者の思考や解釈で埋めてもらうのが本当は丁度良い。あまりすっきりオチをつけると、考える隙がなくなる。なぜこの言葉がここに?という違和感があるといい。 そうか!広告コピーの作り方と、そこは似て非なるものがありますけれど、新しい視点を見つけて言葉にするというのは共通していますね。 私の場合、あるテーマを与えられて詩を書いてくださいという依頼が多いので、下調べで感じたことや第一印象は言葉にして残しておきます。人の目がある場所では、見られても大丈夫な安全すぎる表現になってしまう。私は自分しか見ない紙の日記と、スマホのメモアプリと、SNSでも複数アカウントを使い分けて、いろんな場所で書くようにしています。人が読むことを前提としていないメモ書きや日記は、私にとっては大切なもの。そこから書きたいテーマやネタが出てくることも多いんです。書く内容で自分を好きになってもらいたいわけでなく、嫌いになる人がいたとしても、「これだけは書いて伝えたい」という自分の中の熱に救われています。 |
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