ちょっと幼少期の話を伺いますが、習い事は何かされていました? 3歳から10歳まで母の勧めでヴァイオリンを習っていました。親も付きっきりでレッスンしなくてはならず大変でした。同時期に始めた同い年の女の子がいて、今は芸大出身の演奏家になっていますが、当時から歴然と力の差がありました。5歳で1日3~4時間の猛レッスンしているお友達に比べて、自分は平凡な努力しかできないし中途半端。そういうコンプレックスを持っていました。 お母さんが、著書の中でとてもおもしろい存在として描かれていますね。 小学生くらいの時、よく夜8時半頃に「お母さんお腹空いた。ご飯なぁに?」と聞くと「おまえの丸焼きだよ。ちょうどよく肥えてきたところだね」と返事をしてくるような母で……(笑) 変わっていましたね。どこの家のお母さんもそうだと思いますが、外の顔と、家の顔が違うのでしょうね。母は外ではしっかり者でしたが、家ではふざけてユーモアを発揮する人でした。家に「お母さんが読んで聞かせるお話」という綺麗な絵本があって、「おかあさん読んで!」と持っていくと「これは、お母さんに、読んで聞かせるお話よ!」と言われて、結局わからない漢字を飛ばしながら一人で読んでいた覚えがあります。 何でも与えてしまわずに、子ども自身の力を信じて伸ばしてくれたお母さんでしたね。新刊エッセイ「臆病な詩人、街へ出る。」はどんな本ですか? 臆病な自分と向き合うために苦手なことに挑戦したり、嫌な言葉を投げてくる人にあえて向き合って考えてみたり、いくつもの冒険を描いています。最初は、臆病な自分を変えなくちゃ、克服しなくちゃ・・・―――とネガティブな面から街へ現実を見に行く連載でしたが、後半に差し掛かるにつれて臆病な自分で何がいけないのかな?と感じるようになって臆病な感じ方は変えられないけれど、自分を客観視することで楽になりました。臆病だけど、意外と自分には勇敢なところもあるのではないか。思い切りのよさや場面によっては積極的に頑張れる自分もいるな、とか段々わかってきた。人はそのように、臆病さと勇敢さのグラデーションで生きているのではないか?と感じています。 まさにそうですね!人って一面だけではない。では今、小さな子を育てる親に何かアドバイスをお願いできますか。 子どもが「これをやりたい という興味を汲んであげてほしいです。と同時に、お母さんであっても 100%お母さんになりきらなくていい。それは世間が求める母親像とは違うかもしれませんが、肩書や役割に縛られない方がのびのびと生きられる気がします。1日に数ページでも好きな本を読む時間をもつとか、意識して自分自身を生きること。お母さんが自分らしくいられることのほうが大事。周りにとってもそれが幸せなのではないでしょうか。もちろんお母さんを演じた方が楽に過ごせるときは、その役割に乗っかればいいのだと思います。背負う荷物から逃げてもいいし、減らしてもいいし、また背負ってみてもいい。そういう複雑な役割バランスの中で、人って生きているのではないかと思います。 ---ありがとうございました! <了> 文月 悠光 書籍紹介
■イベント案内 『light years -光年-』(TISSUE Inc.) 『臆病な詩人、街へ出る。』(立東舎) ダブル刊行記念。写真家の石田真澄さんとトークイベント
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