泉さんがサッカーを始められたのはいつ頃で?ごきょうだいはいらっしゃいますか? 僕は4人兄弟の3番目。5歳上の兄、3歳上の兄、僕、4歳下の妹という構成です。上2人の兄がサッカーを始める時に一緒に付いていって自分もやりたい!と。その後、兄2人ともサッカーを辞めて別のことを始めても僕だけサッカーを続けました。一番上の兄は几帳面で美術が得意で美大に進んでから今はイラストレーターに。二番目の兄は行動派で、スポーツが何でも得意で青年海外協力隊を経て研究職をしています。自分は行動派の自由人。妹は美術系の仕事をしています。父は元建設コンサルタント会社に勤めていました。好きなことと仕事がマッチしていたので、自然と皆が仕事は自分が熱意をもってできることを選んでいたように思います。 いい感じの4人きょうだい構成ですね。サッカーの他に習い事は何かされていました? 近所にあったピアノ教室へ。自分から習いたい!と言って小2から中2まで通いました。僕は考えるより体が動いてしまうような子で、そうだったからこそ次につながったように思います。習い事にしても、親から勧められたことが何もなくて全部自分が好きで決めてきたこと。やってみないとわからないことばかりです。全然すごくないから続けるし、やってみて実績を重ねるしかない。大学時代の先生にも「きみは努力賞を狙うしかない」と言われたのが胸にストンとおちました。考えるよりも行動する子でしたね。 本業は特別支援学校の先生をされています。学校にはどのような障がいを抱えるお子さんが通われていますか? 主に知的障がい、自閉症の方が通っていて、一人一人様々な実態があります。コミュニケーションでは、言葉を話す方もいれば、サインやジェスチャーをする方もいます。授業では計算や作文をする方もいれば、イラストや写真を通して学ぶ方もいます。いろいろです。1クラス8名定員で現在7名を受け持っています。高等部卒業後は、作業場か、工賃をもらいながら働くための訓練をする場所、企業に障がい者枠で採用してもらう…という大別すると3つあります。障がいがあって支援が必要でも、高校卒業後はすぐ社会へ出ることがほとんどです。もう少し勉強が必要であっても、日本はそうせざるを得ない仕組みになっています。 現場でないとわからないことって多々あると思います。社会がどんなふうに変わってほしいですか? 知らないということが一番の壁。相手を知らないと怖い気持ちがうまれる。だからフットサルを通じて障がいのある人と触れあえる機会を作れば、知ることで怖くなくなるし社会的価値になる。障がい特性に合わせて対応する点は、大変ですがおもしろい。障がいのある人はスポーツする場が少ないのです。誰もが参加できるチャレンジフットサル教室という場がもっと広く知ってもらえるといいなと思います。 |
|