![]() ![]() ![]() ![]() 監督の幼少期の頃は、どんなことが好きな子どもでした? 僕は3人兄弟の末っ子で、5歳上の長男、4歳上の次男がいます。上の二人は法律家を目指せ!という父の教育方針もあって頑張って勉強して、次男は実際に弁護士をしています。末っ子の僕は自由に比較的のびのびと過ごしていました。学業は地元の中ではそこそこできましたし、学校は嫌いではなかったのですが、先生が嫌いで(笑)。テストは1番でも、成績になるとオール4になる…。学校が出す宿題は意味がないのでやりませんというような理屈を教師に言う生徒で(笑)。ある時、僕が先生に対して文句を言ったことで、親が学校から呼び出されました。母ならハイハイと受け流すものを、父は「謝りたくないと言っている子に無理強いすることはできない。素直に謝らないのは、あなたがたの教師としての能力が足りないからではないか」と逆に説教して帰ってきたことがあります。それ以来、僕もあまり先生たちからとやかく言われずに過ごせるようになりました(笑)。 そういうカッコいいお父様の背中を見て育ったからこそ、今の田中監督があるのでしょう。お父さんしびれますね(笑)。当時、習い事は何を?高校からは何処ですごしました? 小さな頃から小学4,5年生まではピアノを習っていました。ピアノに行くと練習をせずに先生とずっとおしゃべりしていたので、あまり上達しませんでしたね(笑)。野球は仲のいい友達と低学年の頃から小6までやっていましたが、絵を描くのも好きでしたので、中学からは美術部へ入部しました。高校は自由そうな校風のところを選んで、明治学院に高校から入学しました。髪を染めてみたり、ピアスも平気だったり、あまり縛りのない学校で。友達とラーメン食べてカラオケ行って…楽しく過ごしていました。中学で先生と闘い過ぎて疲れ、先生に対する諦めもついたので、高校では諍いもなくなりましたね。大学は国際学部によい先生が多いから…と父に勧められ進学。イギリスに留学をしたり、『ビルマVJ』というミャンマーのドキュメンタリーを観て、学内のNPOに所属してミャンマーに行ったりと、興味があることをやらせてもらいました。 環境を自分の意志でつかみ取られていますが、今後はどういう仕事をしたいという希望はありますか? その時々で様々な問題が起きていますが、元を辿っていけば、それらはほとんど同じ問題のような気もします。2020年でいえばオリンピック・パラリンピックの陰で、ネットカフェや宿泊施設の使用料が高騰し、間接的に生活困窮者が排除されていくという現実があります。これでも内閣が変わらないの?ということも続いていますし。どこがテコになれば変わっていけるのか?という課題がたくさんある。障害者のことでいえば「れいわ新選組」から二人障害者が国会議員として選出されたのがとても大きかった。政治の場に当事者がいることの意味は大きいですよね。存在するだけで周りの意識を変えていくことができる。答弁にこれだけ時間がかかるんだとか。生活困窮のテーマに関して言えば、オリンピックで排除される人たちのこと【<もやい>でキャンペーンをやっています】や住宅確保困難者、日本におられる移民の問題に関心があります。 では、習い事を考える親へのメッセージをお願いします。 僕はまだ結婚もしていませんが、長男家族に3人子どもがいて5歳、3歳、1歳になったかな?賑やかになってきました。彼らと交流するときには、できるかぎり個人として、一人の人として対応しています。子どもだからとかそういうことは無しで話したい。どこまで理解しているかはわかりませんが容赦せず自分の意見は伝えます。僕は小さい頃「子どもだから・・・」と手加減されるのが気に入らなかった。僕は、子どもは経験的に苦手だなと思っていますが、子どもという属性として見るのでなく、子どもであっても個人として見たい。習い事も自分がやりたいということをやらせてもらえたので、それはよかったと思います。やはり何か習い事をするというのは可能性を広げるものだし、失敗する経験を含め主体性を伸ばしていく上で大事だと思います。僕の場合にも形にならなかったものが多くあったなぁと反省もありますが、だからこそ「今度こそは」と踏ん張れたこともあったので。もちろん習い事は経済的な制約を受けることも多いと思いますが、チャンスはあればあるほどいいなと。 ---ありがとうございました! 2020年2月取材・文/マザール あべみちこ ![]() ![]() 田中 悠輝 映画紹介
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