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弁護士 太田啓子さん三姉妹の長女として穏やかに育った。
法学部のない大学から司法試験合格。三姉妹の長女として穏やかに育った。

叱られない優等生は親としても育てやすかったのではと思いますが、先生は子どもの頃は何が好きなお子さんでしたか?

本を読むのが好きでした。1歳下、3歳下の年齢が近い妹がいたので仲良しで友達のような関係でした。習い事はピアノを6年生くらいまで淡々と習っていました。他にはスイミング。運動神経はあまり…で球技は得意ではありませんでしたが、水泳は人並みに泳げました。中学受験をしましたが中1の1学期だけ通って、父の仕事の都合でニューヨークへ。2年半ほどNYで過ごして高校受験の時にまだ父はニューヨーク駐在でしたので、寮のあるICUに進学しました。高校途中で家族が日本に帰国したので寮を出て、自宅から通いました。

優秀でしたね。ニューヨークで過ごされた2年半は人生の中での転換期となりましたか?

すごくいい経験でしたが、学校自体は文科省のカリキュラムでやっていたので日本と変わらず。ただ、学校にはずっとNYで生まれ育って日本語が不得意で帰国前に日本のカルチャーに慣れるために通っているというような子もいて、学校全体の雰囲気はやはりアメリカナイズされていたし、日本の中学校のような部活動はなく、服装も自由で校則もなかった分、カルチャーは好きでした。車がないと通学できないので、送迎も親がかりでしたのでグレようもなく。

弁護士を目指されたのは早い時期からでしたか?

高校からICUに通い、受験した結果結局大学もICUにしました。大学受験の時は、そもそも17.8歳で進路を決めるのはおかしいのでは?という気持ちもあって、いろんな可能性の中から道を選択できる学校で学びたいと思って、そういうカリキュラムの大学を選んだのです。いつか弁護士にと漠然とは思っていましたが、会社員を経てから弁護士になる道もいいなぁと思っていたので、法学部の受験は考えませんでした。

私は「やらなくてはいけないこと」をこなすのが上手な優等生でしたので、大学に入りたての頃は「やらなくてはいけないこと」がぽっかりとなくなって、「やりたいこと」って特にないな…と。「やらなくてはならないこと」ばかりやってきて、「やりたいこと」を考えてこなかった自分を振り返ることになって。いろいろと迷いながら就活をする学生の姿を見て、それも何か違うように思い、弁護士になって性暴力に関する事件に取り組みたいと勉強を始めたのが21歳。試験に合格したのは24歳でしたので、予想より早くなれました。

なかなか選びたくても凡人には叶わない道です。性暴力被害に遭われた女性が「あなたに隙があるから狙われるんだ」と責められるという話も聞きます。被害者、加害者どちらもうまないために、先生はどういう教育が必要だとお考えですか?

被害者に非があるはずはないのに性犯罪では被害者が責められやすい。例えば強盗に入られた時に、あなたの家の施錠が甘かったから…とは言われないですよね。性暴力の場合、男の自然な欲望がたまに暴走してしまうのだから、女の子はそれを助長させないように…というような変な論理が社会に定着してしまっている。それっぽい説が耳に入るようなら「今、あのコメンテーターがああ言ったけれど、それってこういう理由でお母さんはおかしいと思う。問題意識をもって考えないといけないよ」と、伝えます。

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