テーマありきの創作というより、日々の暮らしを丁寧に紡いでそれを言語化し、それを受け止めた人がまた何かしら思いを抱く。そういうプラスαな表現活動なんですね。個人的に「手伝ってくれる息子がいることの幸せ包む餃子の時間」という短歌も好きです。 息子は高3で今秋18歳になります。全寮制の学校へ通ったのは思いがけないことではありましたが、本人が行きたいと希望し。反抗期に物理的に離れて、反抗しそびれたかなと思います。餃子の歌はコロナ禍で学校が全国休校になって久しぶりに長い時間一緒にいた時の作品です。寮に入っていなければ、こういう時間がたくさんあったかもしれない。そんな中で生まれました。 難しい時代にもかかわらず愛情豊かに接していらっしゃるなぁと。俵さん自身はどんなお子さんでしたか? 手の掛からない子どもだったとよく言われます(笑)。本を読むのが好きで、運動は苦手。本は海外のですとリンドグレーンとか、江戸川乱歩を。勉強もよくできました。でも家に籠りきりというわけでなく、外で友達と遊んだり。小学生高学年の頃はフィンガー5というアイドルが好きで振付真似たりして遊んでいましたね。弟は9歳半離れていたので、きょうだい喧嘩もなく、よく面倒をみていました。今も仲良しです。 そのくらい離れているとかわいいですよね。当時、何か習い事はされていましたか? ピアノを8年ほど。小学生でソナタが終わっているくらい進みは早かったですが、中学生になる時にやめました。全然好きじゃなかったんです。真面目だから続けていて、進度がかなり早くて、ピアノの先生も勘違いして中学生になる時に「もっと上の先生をご紹介しましょうか?」と言われました。中学生になったら勉強したいからやめます、と適当な理由をつけて、やっとやめられました。ピアノは自分にとっては楽しくないもの。忍耐力だけはつきましたが、音楽は今でも苦手ですし、いい思い出ではないです(笑)。 嫌いでも得意にできちゃう特技があるんですね。でも俵さんの短歌はリズムもあって音楽のセンスも感じます。中学生になって何か一生懸命にやっていたことはありましたか? 中学は父の仕事の関係で、生まれ育った大阪から引っ越し、後半は福井県で過ごしました。勉強が大好きで、すごく成績もよい優等生でおもしろみのない人生(笑)。勉強が好きなのは今も。知らないことを知るって楽しいし、勉強が苦にならないタイプです。息子も勉強は好きですが、好きなことを深堀するタイプです。私は満遍なく点を取って、苦手科目があればちゃんとやろうと取り組みましたが、息子は好きなことは熱心で、好きじゃないことは後回し(笑)。親子でも違いますね。 |
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