いつ頃、落語家の道に進むと決断を? 大学三年生の就活で、大学受験のカリスマ講師は朝から働かなくていい生活スタイルでしゃべりもおもしろいし予備校教師になろうと。一番早く内定もらえたのが大手予備校の講師職。女性講師がまだ少ない時代で生物の講義は需要がないというので、英語講師で採用頂きました。ところが内定をもらい『これから毎日同じ場所に通って会社勤めをするんだ』と思ったら急に内定ブルーに。結局内定を断りました。モラトリアムの学生時代を過ごし、無意識に落語をやりたい!というのがあったのかもしれません。 大学卒業後に落語家デビューを? 卒業後は大学院へ進み研究室に残りましたが、正当に評価されずモヤモヤと。学会では学閥を含めて政治的な面が見え受け入れられないこともあって。一生懸命研究をしても正当に評価されないくらいならば、理不尽だからしょうがないと腹を括ってやる落語界のほうが諦めがつくと思いまして(笑)。 「女に落語は無理」と言われ、自分がやっても無理だな~と思っていたんですが、イチかバチか行ってみようと大学院をやめ入門願いをしたら、どうして落語家になりたいか。どうして談春の弟子になりたいか。弟子になって何がしたいのか。作文を書いてきてくださいと。で、書いて出しましたら採ってくれました。 思い切った選択でしたね。ドラマがあります!作文はお得意でしたか? いえ、大嫌いです。でも論文は書けます。『…このように思います。理由は三点あります』…という書き方は得意。感想文は書けません。作者の気持ちになって…なんて作者に聞いてほしい。どう思いましたか?と聞かれても、何も思いませんでしたとしか答えられない(笑)。師匠は書いた作文を言葉で説明しようとしている情熱を受け止めてくれた。当時は立川談志師匠がご存命でしたので、ご挨拶に行きましたが丸1年間女性と気づかれなかった。確かに短髪ではありましたが(笑)。 女性を特別視しない一門で却ってよかったですね。入門してからは順調満帆で? 立川一門は寄席に入っていません。三遊亭、柳家、林家などは大体皆、朝師匠の家に行って掃除や雑事をして寄席の楽屋で365日落語会の裏方をするイメージがありますが、寄席に入っていない立川一門は師匠の取材、落語会の付き人がメインです。師匠が気持ちよく現場に辿り着けるように邪魔にならないよう気遣いスムーズに手配をするわけです。これが一番難しかった。前座を6年半させていただき2006年から2012年まで師匠の身の回りで修行をしました。最初、なぜ怒られるのかわからず。師匠だけでなく落語家は全員修行していますが、ベテランは見えてる視点、チェックポイントが100ある。私はペーペーですからチェックポイントが5つくらいしかない。自分なりに想定、想像、選択肢を作ってこれのほうがいいのか?と考えながら必死でした。立川一門に男しかいなかった中で私が初めて立川一門に女で入りましたが、同じ育てられ方でした。 落語界の中でも異色の立川一門に入門したのはどんな理由があったのでしょう? うちの師匠(立川談春)の落語がすごいと思って。大学時代は落研でいろいろな落語家さんの噺を聞いていましたが、弟子になろうと思ったのはうちの師匠の迫力、説得力でした。たまたま立川一門でした。もちろん私が予備校講師に憧れていた下地もあるのですが、何百人と言うお客さんたちをグイグイと引き込む。息も吸えなくなる飲み込まれるような感覚。それをしゃべっているだけでできるわけです。一体どういうことだろう?と。それが師匠にはありました。 |
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