芸に胸撃ち抜かれたのですね。では落語家としての素養とは何でしょうか。 プレーヤーとしては、お客さんに自然に受け取ってもらえる世界ができるか?どうやって愛してもらえるか?です。うまくてもコイツ好きじゃないな!と思われたらお客さんは来ません。下手でもなんかコイツおもしろいな!と思われたらお客さんは来ます。相手が不快だという障害を取り除いて愛されること。芸人の生き方としては好き勝手やる。舞台の上では、いかに愛されるか?ですが、芸人は就職しているわけではなく自分の人生。あまり常識に囚われずに何でもやっていいんだと思っていろんなことにチャレンジする。年を取ってくると勝手に頭の枷みたいなものができて、これはやらないほうがいいとか出てきますが、そういうのを取っ払って柔軟に考えられることでしょうか。 こはるさん的にはどういう芸を見せていかれたい? 古典落語というジャンルは男の人ばかりがずっとやってきた世界。女の人は受け入れられないという時代が長く、この5年くらいで変わってきました。私が修行からやってきた10何年の間、女性が古典落語をはなしても不自然なく楽しんでもらえるかに重きを置いていたので、これからも考えながらやっていきます。女性の落語家は私の他にもいらして、女の人に登場人物を変えてみたり、女の人主役の新作落語にするとか。私はそういうのを一切せず、男目線で話す古典落語に取り組みたいです。歴史がある芸をちゃんと受け継げる技術。自分にはまだまだ修行と年月が必要です。 芸の道を歩くこはるさんから子どもたちに伝えたいメッセージをお願いします。 学校に落語会で行くようになって、結果的に予備校講師から道を逸れましたが、学生たちに接する機会が結構あります。今の小学生は1クラスの人数が少なく、1クラスに先生が3人いたり非常におとなしい。コロナになる前から感じていますが、みんな平均的で逆に大丈夫かな?と。ケータイやスマホで今はLINEグループなどで、私たちの頃より遥かに監視し合っている。相手がどう振舞うか、自分がどう振舞うか。子どもたちの世界で足並みをそろえることに非常に敏感。落語も、みんな笑っていないのに自分だけ笑ったらどうしようとか…そういうのを感じます。 今はTwitterなどで大人の発信をすぐ受けとめられる。都合のいい言葉を素直に聞くのではなく、ひとつ疑ってみること。みんなが笑っているからいいわけじゃない。みんな黙っているけれどこれは言ったほうがいい…など疑って考えることを大事にしてほしい。都会だけでなく地方でも同様に感じています。LINEとかTwitterでの文面での感情表現はできても、人の話を聞いて何かを返すってことが慣れていない子が多い。それと、学校がすべての世界になって同調圧力に息苦しくなっているのでは?足並みそろえることに消耗している。もっと勝手に生きていいんだよと伝えたいですね。 文字面だけのコミュニケーションが先行している時代への警鐘ですね。親世代へも一言いただけますか? 私の優先順位では落語会運営やお客さんのために時間を割いてきましたが、ご家族がいれば子どものために夫のためにとなりますね。生活全般をルーティーン化して惰性でやるのではなく、ちゃんと向き合うこと。嫌にならずに自分の中の発見を続けていくには、今この時間、瞬間に向き合うことです。自分の気の持ちようを変えない限り、いくらITが発展しようとも何も変わらない。悩みと苦悩は永遠にうまれ続けるものです。とはいえ独り者の私が言うと反感を買うかもしれませんけれど(笑)。 ---ありがとうございました! 2022年1月リモートによる取材・文/マザール あべみちこ 立川 こはる 活動紹介
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