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■ご両親のユニークさが、先生のキャラクターに大きく影響を受けられたわけ
ですね。
対人関係においてはそうかもしれません。僕は誰かが威張っているような組織が苦手。その威張っている権威者に近づいて、ちょっとずつ風穴を開けるようにしていました。
ちょっとでも間違うと怒りを買いますから、顔色を見ながらやる必要がありますけど、顔色をうかがうのは子どものころから慣れていました。
そうやって上の人も次第に権威をふりかざせない雰囲気を作っていこうとしてますね。でもときどきは失敗して怒りを買うこともありますけど(笑)。
それとね、ぼくの家の中では人がやっているとか、社会通念がどうなっていようが、
全然関係なかった。つまらないことするな!ってね。
だから他人やしきたりのせいにすることは許されなかった。
何でも自分の責任でやらなきゃいけなかったんです。
それが人格形成に大きかったと思います。
■ご家庭の教育方針はいかがでしたか?
実質的な考え方をしていました。勉強したくないなら中学卒業して大阪へ丁稚に出すと言われていました。でも学力テストをしてみたら結構成績がいいことがわかって、
なら大学まで行けと。官僚になってほしかったらしいですね。
僕は東大文科Ⅰ類へ合格、法学部へ進む官僚コースで一生を約束されたようなものですが、2年生の時に哲学科へ移りました。ものすごく反対されましたけれどね。
「世間的にいいと言っても、どうしてそれが自分にとっていいと言えるか」
なんて言い返して。いま思うと、父親の教育の結果でしたね。
それに、その頃は、親が反対すればするほど自分が正しいと思い込む年頃でした
から、意志は変わりませんでした。
■哲学科へ進まれてからは猛勉強の日々でした?
ええ。でも勉強したいとは思っていましたが、教師になるつもりはなかったですね。
そうしているうちに東大紛争が起こり、授業も開かれないまま。
それで宅建の資格を取って、3ヵ月ほどでしたが不動産屋になったんですね。
労働時間が少なくてすむかと思って。
やがて紛争も終わり、また学校に戻ってこいと教授に言われて戻りましたが、僕は
サラリーマンになれないなぁと思いましたね。自分の時間を売っている感じがして。
自由がほしかった。
■哲学の魅力というのは、どういう点にありましたか?
僕はこれまで明るく軽薄に生きてきたので、哲学的な考えが性格的に合わなかった。ドストエフスキーを読んで「すべての価値観を疑え」と思うようになりましたし、
世間的価値観にのっかって人生を送ったら人生の重要なことを見落としてしまう
と思った。それで、哲学書を開いてみたら、全然理解できなかった。
最初にドイツ人哲学者のハイデガーの研究を10年かけて探求しましたが、求めていた答えとは違うことに気づきました。
次に古代ギリシャ語から勉強して、アリストテレスの研究をしまして。
とても難しかったのですが、それで15年掛けて何となくわかった気がしました。
自分の思ってもいないような解決の仕方をアリストテレスはしていて、
それがわかった時はうれしかったですね。
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