■先生は昔からあまり外見もお変わりなくお若いですが、実年齢は71歳!
戦争も体験されていらっしゃるのですね。 小学3年生の夏に終戦を迎えました。 戦争中は、ぼくがいたのは奈良県の奥のほうでしたが、山の中すぎて影響はあまりなかったんです。五條市(元は五條町)は疎開するにも山の中すぎて、誰も疎開していなかったんじゃないかなぁ(笑)。 物心ついた時、絵を描いていました。 母によれば生後7ヵ月頃、まだ歩行器の中にいる頃で。 「こんな子は、何を描くのかしら?」とちょっとした母親の好奇心から始まったことなのです。 ■絵を描いたり、ものを作ったりするご両親でいらしたのですか? いえ。父の家系は全員教師でしたので、美術の先生はいましたけれど。 母はまるっきり絵は描けない人でした。 何かこの子は絵を描くかもしれない、と見越していたのかもしれません。 そういう感覚って大事なことですね。人間は賢くなっていけばいくほど理性が勝って、 本能や感性を消して否定してしまいますが。母は感性豊かな人だったのでしょう。 ■小学4年生から漫画を描き始めたというので、びっくりしました。 うちの息子もちょうど4年生で、漫画大好きで自分でも創作していますが、 何が何やら?といった具合のお話で。 ぼくの場合は、だしぬけに書いていました。わら半紙を綴じて本のようにして書いた。 4年生になってから、漫画や本を読み始めてたちまちお話の世界が開花した。 友達に借りた漫画を見て、「ああ、これならぼくにも書けるな」と思って描き始めた。 ペーターという男の子が出てくる外国のお話だったような……。 ■それで描ける!と思ってからずっと描き続けていらした? 子どもって単純なもので、これまでできなかったことができるようになったというだけで 興奮気味で。それほど漫画家になろうと思っていなかったのですが、5年生になって 手塚治虫の「新宝島」という漫画を読んで、その作品に深く感銘を受けて僕も漫画家に なろう!と思った。 もう、ありとあらゆる雑誌や新聞のコンテストに出しまくっていました。 すごいエネルギーでした。 「中学生になったらデビューしよう」と小学生の頃から思っていましたから。 それで、入賞していろいろ取り上げてもらって住所なども記載されたので、遠くに住んで いる漫画好きな友達からたくさん手紙がくるようになりました。 毎日手紙をやり取りしていました。 ■ペンフレンドですね!確固たる将来のイメージができあがっていたのが スゴイですね。今、何になりたいかわからない子も多いのですが。 ぼくたちにとって漫画というのは、その時代新しい世界への入口だったわけです。 出会いにインパクトがあってそれに興味があれば、そちらの方向へ引っ張られていく ものだと思いますよ。インパクトの持ちようかな。 ぼくは「これからは漫画だ!漫画の時代なんだ」と思いこんでいましたから。 ⇒[3]を読む |
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