元格闘家 髙田延彦 (たかだ のぶひこ) さん 1980年3月新日本プロレス入門。1981年デビュー。 髙田さんはアントニオ猪木さんに憧れてプロレスラーになろうと決心されたそうですが、そもそもスポーツはお得意で? 小学3年生から6年生まで少年野球チームに所属して、野球に明け暮れていました。当時の監督はいるだけで威厳があって、どっしりと大きな人でした。僕はサード希望でしたが、「おまえはキャッチーだな」と言われ、最も地味なポジションに(笑)。でも、結局それは適材適所で、チームプレーが好きな僕の性質も見破っての配置で、横浜で一番強い少年野球チームでした。中2の時に父が病気で倒れてしまい、親戚に預けられました。通っていた学校へ通うのは遠くなってしまった。これまでテレビで猪木さんのプロレスは、見るものでしかなかったのですが、父の病気をきっかけに「僕もこれをやろう!」と決心したのが転機でした。母がいなかったのですが、父は無遅刻無欠勤で家事もきちんとこなす真面目人間。僕は中学校へ行かなくなってからも、走り込みやスクワット、木を殴ったりして自己流のトレーニングで体づくりを続けました。 ほとんどの中学生が高校受験を考える時代に、ご自分で「高校へは行かずに、プロレスラーになろう」とお決めになったのは、とても意志が強かったのですね。 そうですね、ひとに惑わされることなく、自分を持っていました。もし、昔の自分が目の前にいたら、抱きしめてあげたい気分です(笑)残念ながら中学卒業時の入門テストでは規定に届かずあきらめました。その後、バイトをしながら体づくりをしていたのですが、17歳の時に友達のバイクの後ろにまたがって大事故に遭いまして。1ヶ月くらい入院したんですね。退院してから、いつもは寡黙で怒らない父から「中途半端な生活を送っているからこうなったんだ。たとえダメでもいいから、今すぐ入門テストを受けてみろ」と喝を入れられまして。 よし、やってみようと。それで、書類を送ったら「受けにこい」となって、たまたま拾ってくださった方がいて、そこからプロレス人生が始まりました。そのころは大げさにいえば、自分が世界の中心にいるような感覚で。皆が僕を見ている気分になっていました。超前向きな思い込みですね(笑)。 髙田さんは苦しいとか、辛いというオーラがなくて、いつも幸せそうな感じがします。それは演じていらっしゃるわけでなくて、もともとの資質でいらっしゃるのでしょうか。 自分の思う方向に向かって進んでいるうちに、点が線になってつながり、その中にPRIDEのようなものもあったり。僕の場合は、必要以上にネガティブなことを考えるくらいなら、前に進んで失敗してもやってみる!という性質なんですね。もともとの資質に加えて、いろいろな経験が、消化する能力やバネをつくってきたのだと思います。 |
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