内田 麻理香(うちだ まりか) さん
サイエンスライター 科学技術コミュニケーター(サイエンスコミュニケーター) 内田さんは東京大学で広報担当特任研究員として働く一方で、科学の楽しさを広めるために幅広く活動していらっしゃいますね。小さな頃はどんな習い事を? 幼稚園の年中からバレエを習い始めて小学4年生まで続けました。始めた理由は、当時流行っていたピンクレディーの歌を振りつきで踊っていた私を見て、母が「この子は踊りが天才に違いない!」と勘違いしたようで(笑)。私の自覚がなかった頃に、親に連れて行かれたのですが。そして年長になると、周りのお友達もぼちぼちピアノを習い始めて「私もやりたい!」と懇願し、これは高校1年生まで続けましたね。ピアノは好きだったんですが、練習は嫌いでした。小学校に入学してからは、くもんの英語教室に通いました。これはたまたま家族旅行に行った時、父が外国の方に道を聞かれ、その時に英語で答えているのを目にして「英語で話せるのっていいな!」と思いまして。後で聞いたら、父は堪能に話していたわけじゃなかったんですけれどね(笑)。そこで、たまたまパンフレットがあった近所の、くもんの教室の扉を叩いて。先生には「低学年で英語はちょっと……」と言われたらしいのですが、うちの母は「この子は大丈夫ですから」と押し切ったそうです。根拠ないのに、すごいですよね(笑)。 お母様の見極めが素晴らしい。何に対しても飲み込みも早くて、理解も早くていらした。 どちらかというと、そういうタイプではあるのですが、一つのことを深くはできない。練習もそこそこしかやらない。でも全般的に勉強が好きでした。やれ!と言われると絶対やらないタイプでしたが。「勉強しろ」と言わなかったことが、両親の自慢のようでした。 ご両親とも何かの学問を追求する研究者でいらしたのですか? いえ、母は専業主婦で、父はメーカーのエンジニアでした。父が家で時計を組み立てているのを見ていいなと。あとは父の趣味で歴史書が家にたくさん並んでいて、私も歴史を勉強したいと。小学校1年生から歴史に興味を持ち始めて、その頃は歴史学者になろうと思っていましたね。 本が読める環境が常におありだったのですね。 そうですね。ただ、読みたいと思う本が常にあったわけではないんです。当時、学研のひみつシリーズというのがあって、本屋さんに行くとあれを全巻買ってもらっている子どもを見かけて。とってもうらやましかったのですが家は買ってくれなかったので、手元にある一冊ずつ大切に読んでいましたね。買ってもらえなくても友達の家などでも、数十冊は読みました。各ページの横に書いてある注釈も全部暗記するくらい。中高ではあまり読書しなかったので、その雑学が大学まで役立ちました(笑)。あとは、子ども百科事典12冊シリーズという頂き物を読んでいましたね。どうすれば五角形ができるのか?なんてことを考えていました。興味は育まれましたね。 |
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