パパイヤ鈴木(パパイヤすずき) さん 1966年東京都東久留米市生まれ。 私はパパイヤさんと同世代で、6才まで同郷の東久留米市に住んでいました。あの頃は子どもが多くて遊びに事欠きませんでしたが、どんな幼児期をお過ごしで? 実家は下宿屋をやっていました。戸建ての家で2階に細かい部屋が4つあって。そこに大学生のお兄ちゃんが何人もいて、その人たちと遊んでいました。みんなでご飯食べて。知らないお兄ちゃんがいつもいて。あとは近所の悪ガキたちと一緒に、外で遊ぶことが多かった。野球、こま、メンコとか昔の遊びを。木登り、鬼ごっこというスタンダードな遊びをずっとしていました。そういう時代で映画「Always」の世界。旧きよき日本の子どもたちという感じです。 パパイヤさんは何が得意なお子さんで。ご家庭ではどんなふうに過ごされていました? 親父が歌手だったので、将来は歌の仕事をしたいと思っていたみたいで、卒業文集にはそんなふうに書いてありましたね。親父はラテンミュージックの歌い手で、ラテンといっても陽気なのではなく、日本の演歌みたいにしっとりとしたものが多かったんですけど。音楽は小さな頃から身近にあって歌ったり聞いたりしていました。 うちの息子(小6男子)はサッカーばっかりで手を焼いていますが、パパイヤさんの小6時代は? 小学5,6年生でトランペットを吹いていました。楽器をやっていたので皆と合わせるというのをやらなきゃいけない。チームワークですから合奏って。例えば、リレーとか、野球とか、バスケとか。そういう団体行動ができるようなものをやるのがいいと思う。バランスが取れる子になるので。2人以上複数でやれるスポーツでも文化系な活動でもおすすめです。人数多いとわからないけれど、10人でやることっていいなって思う。 音楽好きでいらして、習い事というより小学校の活動として得意分野を発揮されて。 トランペット吹ける子なんて、当時はいなかった。その頃は学校にブラスバンド部がなくて、器楽部を作った。僕が5年の時はクラスに4人しかいなくて。その次の年にメンバーが増えた。先生が僕らに教え、先生一人と僕ら4人で始めて、いろんな発表会、学芸会でファンファーレを吹いたりしてね。それを通じて器楽部を宣伝していった。 |
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