ものすごい集中力で仕事をされていたんですね。私も産後2ヵ月ですぐ職場に戻って走り続けてきたのでワークライフ・バランスもへったくれもない生活でした。 「ジュニアパイロット」という、子どもが一人で乗れる飛行機の搭乗サービスをよく使っていました。仕事のときは羽田まで送って、飛行機で実家のある小松まで飛ばす。母にはよく「子どもは荷物じゃないんだから!」と叱られました(笑)。ある時、親子一緒に実家帰ることになって飛行機に乗ると、娘が「すみません、絵本ください」「ジュースください」と全部自分で(笑)。やっぱり手をかけちゃいけないんだと思いました。 ちっちゃいときから、転んでも起こさなかったですし。「はい、起きなさい」で、起きたら「偉いねー」「さすが!」と思い切りほめる。とにかく手がかからないように、自分の手を煩わせないように、自分中心に考えてきたわけですが、それはイコール彼女の自立にもなった。 うちにも息子がおりますが、どうも織作さんの娘さんとは成長の仕方が違うようです(涙)。仕事と子育ての両立は大変な時期もおありだったと思います。娘さんとなかなか会えずに、寂しくありませんでしたか。 忙しくて、それどころじゃなかった・・・というとかわいそうだけれど。娘が小学生になると、しょっちゅう東京に来ていた母も一人だけを見られなくなって。じゃあ、いとこたちがいる小松に行く?と娘に聞いたら、飛んで行っちゃった(笑)。そこから、私の「週末通い母」が始まりました。娘が小学校2年生から高校卒業まで続きました。ウィークデーはガーッと仕事して週末は実家に帰る。そうはいっても子どもだから寂しかったでしょうし、いろいろ考えたときもありましたが、しょうがないです。もうそれしかなかったのだから。娘に普通のお母さんがよかったと言われるのは一番つらい。だから今は仕事を手伝ってもらって、親子生活をエンジョイしてます。一緒にいると本当に楽しい。 織作さんの意外な一面を垣間見たような気がします。ところで、ハンガリーで作品を撮ることも多いようですが、ハンガリーの子たちから今の日本の子どもたちに感じることはありますか。 ハンガリーの子は自然と共に、自然を使って遊んでいます。娘が小さな頃、東京と石川の両方の幼稚園を契約していたことありました。私が海外出張のときは、実家のある小松の幼稚園に預けて。すると二つの幼稚園はカリキュラムが全然違っていました。当時は、東京だと池袋水族館へ遠足。小松では芋ほり、いちご狩りなどアウトドア。 東京で虫みたいなものを見つけたりすると、ギャーと逃げられたとよく言っていましたね。娘にとっては両方の土地を行ったり来たりできてよかったと思いますが。 都会にいると魚どころか虫すら見たことも触ったこともなく大人になってしまう。なんだかちょっと怖いですね。ハンガリーの良さはどんなところですか。古い日本や故郷と少し似ている点がありますか。 ハンガリーには今年7月にも行ってきました。故郷に似ているということではないですが、古いものが残っているせいか哀愁漂って、しっとりとして撮りやすい。写真のテーマは、都会が好きな人と田舎が好きな人がいますが、私はどちらかというと田舎が好き。ハンガリーは、人もすごく知的でIQも高い。ノーベル賞の受賞者が対国面積比で世界一ですよ。ルービックキューブが考案されたのも、ナビの3次元が生まれたのもハンガリー。マジャール人は、理数系で頭脳が違うのでしょうね。ハンガリーに行くようになったのは15年ほど前、外務省や大使館から仕事の依頼を受けてから。今年は、日本とハンガリーの友好140周年。その記念事業で私の個展がハンガリー政府の招待で行われ、ブタペストの中心地にある写真博物館であります。 まだハンガリーに行ったことのない私でも、行ってみたくなる何かが織作さんの作品から感じます。これからは、どんなテーマをお考えですか。 私の作品の大きなテーマは「時」。時のなかの1章、2章、3章のような感じで撮り続けています。「時」のほか、ハンガリーで展示するものは日本的なものを意識して、5年ほどまえから「桜」を撮っていますが、そうした花シリーズは20年前から取り組んでいます。また、海外の風景、それから何気ないものなどと併せて、私の作品は大きな3つの部屋を持っていています。これからも、「時」という瞬間を切り取る芸術として写真 の面白さを追及していきたい。今年は展覧会が多く重なったので、少しゆっくりしたら何か新しいテーマも考えてみたいですね。
---ありがとうございました! 編集協力:高田友美 取材・構成:あべみちこ
活動インフォメーション
■写真展「MY SWIZERLAND」 |
|