小さい頃はどんなお子さんでした?
学級委員をやったり、ガールスカウトでいろんな活動して老人ホームを慰安したり。
なぜかクラスで「ナイチンゲール」と言われていました。そのくせ小学校時代はプールが大嫌いで、わざと見学したりしていました(笑)。
4つ上の姉がいます。私の体が大きいせいか、なぜかいつも私が姉に見られるんですけれど。
まだ幼い頃に入院をされて、学校の勉強も大変だったことでしょう。
中学、高校、大学時代も入院していたので、私にとって家族の存在は大きいものです。今、姉の子が3人いて、上から長男(高3)、長女(中3)、次男(中1)です。
皆、私を慕ってくれるので、私も彼らの面倒をよくみます。次男は小6になってから急に受験を決意し、準備期間も短かったので結果は残念でしたが、一年間頑張ったのは全然無駄ではなかったです。
現に今、公立校へ通って成績はトップクラスみたいです。一所懸命に経験したことは必ず自信になりますし、高校受験でまたチャレンジすればいい。とにかく、子どもはまず元気でいてくれればそれでいいんです。病気しちゃった私は、親不孝でしたけれどね。その分を取り戻すということでもないのですが、今は月1回旅行に連れて行ったり、外食をしに行ったりしています。
成田さんは病気になってもパラリンピックで金メダルを何個も獲得されて、世界新記録もいくつも出して。それだけでもたくさんの人に夢を与えていますし、十分親孝行をされていると思います。
ところで※北京オリンピックは悔しかったですね。ロンドンへ向けて成田さんの想いは?
※クラス分けの変更。それまでより障害が軽い(より体の自由がきく選手が多い)クラスに入れられたために苦戦し、北京ではメダル獲得にならなかった。
北京大会では、現地に入ってからのクラス分けテストで、一つ障害の軽いクラスに変更になりました。日本を発つ時に出場すると思っていたのとは違うクラスで、本番で戦うことになったんですね。クラスを変更された時はもちろんショックでしたし、戸惑いました。
でも、私には棄権をするという選択肢はありませんでした。パラリンピックで泳ぐために北京に来た。そして北京で泳ぐために股関節の手術をしたのですから。
泳ぐことが私の生きがいなのです。ですから、気持ちを切り替えることだけに気持ちを集中させました。
結果はすべて5位でしたが、あの時に自分にできた精一杯の結果だと思っています。
ただ、ロンドンではクラス変更を受け止めた上で、しっかりと練習を積んで挑戦をしてみたい。世界のレベルは年々上がっているので、メダルには届かないかもしれませんが、1ランク上のクラスでも覚悟を決めて練習をしたらどういう結果になるのか、自分自身が知りたいのです。
私の可能性を私が試してみたい。今から楽しみです。
---ありがとうございました!
以前ある講演でお話をお聞きしてから、ずっと成田さんのことが忘れられずにおりました。念願かなって今回取材を名目にお目にかかれ本当にうれしかったです。HPもBlogもされていない成田さんですが、その魅力的なお人柄は講演などで、たくさんの方に聞いていただきたいと思います。
パラリンピックでメダルを獲得するには、ものすごく厳しい練習と強い精神力を要求されることでしょう。どうかお体に気をつけてロンドンパラリンピックで華を飾ってください。応援しています!
<了>
取材・文/マザール あべみちこ