尺八演奏家
藤原 道山 (ふじわら どうざん)さん
10才より尺八を始め、人間国宝・山本邦山に師事。東京芸術大学大学院音楽研究科修了。 ピアノやヴァイオリンを演奏される方は多いですが、道山さんは尺八演奏家ということで。楽器の中で尺八を選ばれたきっかけは何でしたか? 僕の実家は、たまたま祖母がお琴の先生を務めておりまして、母もその手伝いをしていました。小さな頃はお稽古が終わるまで、稽古の音を聞きながらふすま越しに本を読んだり絵を描いたりして静かに過ごしていました。 お琴という楽器が身近にあって、音楽に慣れ親しむ環境がおありだったんですね。 そうですね。父も母も音楽を聞くのが好きで、世代的にいうとビートルズやビリージョエルなど洋楽をよく聴いていました。クラシックも好きで何でも聴いていたので、僕も自然と受け入れていました。音楽は、いいものはいいということで、ジャンルという線引きの意識がありませんでした。 学校での音楽授業は、物足りなかったということはなかったですか? 音楽の時間ほど楽しい時間はなかった…くらい好きでしたね(笑)。音を奏でることがとても楽しくて、楽器に触れるのが何しろうれしかったですね。その中でもリコーダーが一番好きで、かなりのめりこんで、本当にずっと吹いていました。登下校時も吹いていたので、“帰ってくるのがすぐわかる”と言われていました(笑)。それで祖母と母が、尺八を習ったら…と思ったらしく、小学5年生から尺八を習いました。たまたま祖父の知り合いで、尺八をやりたい人が何人かいて「だったら一緒にやったらどう?」と勧められたのがきっかけでした。 はじめてすぐ尺八のおもしろさ、奥深さのトリコになられたんですか? それがですね……まず全然音が出ないことに衝撃を受けました。10歳までの短い歳月でしたが、それまで音の出ない楽器に出会ったことがありませんでした。ピアノ、お琴、三味線、とりあえず上手下手は別として奏でれば音は出るものですが、尺八だけはウンともスンとも音がしない楽器でした。それが悔しかった。どうしたら音が出るのだろう?と試行錯誤が始まりました。 音が出ない楽器……今はやすやすと奏でられているようにお見受けしますが、尺八は難しいものなのですね!おもしろさに目覚めたのはいつ頃でした? 音が出なかったのがとても悔しかったけれど、音が出るようになるとうれしくなって。一音一音、音が出たというのを積み重ねていくのが当時すごく楽しかった。僕は今学校公演などもしていますが、最初に私が目の前で演奏して尺八を吹いて、子どもたちに実践して吹かせるとまず音が出ない。それが、子どもたちにとって驚きでもあり、とても悔しいようです。最初からすんなり音が出る楽器だったら、僕はここまでのめり込まなかったかもしれません。難しいものだからこそやりがいがある。今までとは違うショックがあった、というのは大きいですね。 |
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