中学時代も、放課後はもちろんスケートの練習で? そうです。ひどかったです。練習プラス反抗期でしたから。全然練習しなかったこともあるし。ほとんどリンクに行っては母とケンカしたり、ずっとそんな感じでした。僕が反抗するたび、母はもう激怒しかなかった。『絶対に辞めるな。こんなところで辞めてしまったら絶対いい人間にはならへん』と、いつも言われました。 すごいですね、お母様も偉い。お母様はお姉さんお兄さんもいらした中で末っ子の信成さんにエネルギーを注がれたのは、やはり一番素直でいらした? 生き残りが僕しかいなかった(笑)。僕にはスケートをやめさせたくなかったでしょうし、ちょっとは期待してくれたのかな。きょうだい3人ともよくいえば素直で、悪く言えばワガママ。ただ3人とも好奇心旺盛で向上心はあった……と母は言っています。 反抗期があって練習へまた戻られたというのは、どんな経緯がおありで? 中2の時、階段から落ちて腕を怪我して手術をして、1年くらい大会に出場できない時期がありました。その時に『これで友達とやっと遊べる!』と念願叶って、友達遊びを実現したのですが、全然楽しくなくって。いつも考えるのはスケートのことばかり。僕にはスケートがなかったら楽しくない。スケートが必要なんだと痛感しました。スケートがあってこその自分、を意識した中2が転機ですね。 ひと山越えられたんですね。その後、高校に進まれてもモチベーションを保ちつつ同じようにスケート漬けの日々で? 地元の高校へ進み、放課後はスケートの練習でした。高3の時に世界ジュニアで優勝し、注目してもらえるきっかけになりました。 10月に長男・信太朗くんが誕生されて、生活的に変わりましたか? がらっと変わりました。おむつ替えてミルク上げて……人を育てるのって、すごく大 ⇒ [3]を読む |
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