宮間 あや (みやま あや)さん 岡山湯郷Belle所属。1985年、千葉県生まれ。MF。2003年に代表初選出。両足から正確なパスとシュートを繰り出し、今夏のW杯では2得点を決めるなど、優勝に貢献した。09,10年には、米国の女子リーグでもプレーした。代表通算104試合に出場し、26得点。1メートル57、50キロ。岡山湯郷Belle 公式ホームページはこちら なでしこジャパンでのご活躍は記憶に新しく素晴らしかったです。宮間選手は幼少期の頃からサッカーを続けてこられた? 父がサッカー選手でしたので、家にサッカーボールがいつも転がっていました。サッカーチームに入ったのは小学1年生から。2歳上の姉もサッカーをしていましたが、のめりこむほどではなかったです。私は上手いとか下手とかより、人よりちょっとボールの扱いが上手くできることが楽しくてサッカーに夢中でした。ジャージ着て学校通ってサッカーやっていたので、「おまえどっちだよ?(男なの?女なの?)」みたいなこと言われていましたね(笑)。 いつ頃から「サッカー選手になる」ということを意識されたんですか?何かのインタビューで「朝起きてサッカーがしたくなくなっていたら、サッカーを辞める時だ」とお話しされていらっしゃいましたが、とても潔い心の持ち方ですね。 小さな頃は明確な目標とか思いは、なかったですね。いつの間にかサッカーをしている自分が当たり前になっていたので…女子サッカーの存在すら知らなかったですし。サッカーのプレーがうまくいかないことが続いて、夜眠る時に「あー練習するのしんどいな」と思っても、朝起きると「よし、がんばろう!」と切り替わっている。そうならなくなった時は辞める時だと思います。 家族のサポートは不可欠だったと思います。でもお聞きしていると小中学校時代から自立されていらした。誰かに何かを言われてするのではなくて心底サッカーが好きだったのですね。毎日自分自身に課して努力されてきたことはありますか? 小中学校時代は、ただサッカーが楽しくてボールを追いかけていました。クラブチームでは男子がメインで混ざって参加していましたが当時は女子一人きり。女子だから頑張るとか、負けないぞとか、そういう気持ちは無かったです。いろいろ言われて嫌だったこともありますが、それ以上にサッカーが好きでしたし、男子の友達にも恵まれました。中2の終わり頃から、女子チームの下部組織に通うようになりました。下部組織と上のお姉さんチームと両方登録させてもらいました。中学2年生の頃からクラブチームへ入って放課後は片道3時間半かけて千葉の九十九里浜から東京の稲城のグラウンドまで通っていました。6時半からの練習が終わるのが9時過ぎ。それから帰宅するともう終電。駅に母が車で迎えに来てくれました。自分としてはサッカーがやりたくて仕方無かったし、いいスパイクも欲しかったので、最低限の約束は守りましたね。 毎日がものすごいハードな生活で、そのなかで受験勉強もされてこられた? 自分は推薦で高校進学したので受験勉強したことがないんです。勉強はしていたほうで成績を落とさないようにしていました。片道3時間半の移動中で集中して勉強。学校では眠くてきつかったので移動中にやることが多かったです。サッカーのクラブチームへは、親に助けてもらって通わせてもらっていたので、親に言われたことくらいはやらないと。あまりにも成績が悪かったら辞めさせられてしまうかもしれない…ということがあったので。 |
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