音大受験についてお母様は何ておっしゃっていらした? 昔から「音楽は仕事にしない方がいい」と言われてきたんですが、まあ1年だけならやってみれば?と最終的に送りだしてくれました。お金もかかりますし、うちは母一人で頑張っていましたから。クラシックは、少年少女時代からトレーニングしていくものなので、友人からの誘惑も多く、本気で続けていくには、ある意味ご両親の意思により多少コントロールしていく時期、また根気強い励ましがある程度ないと続けられないと思います。勿論人にもよりますが、「音楽の才能」とは「努力を続けられる才能」のことかもしれません。 猛勉強後、現役で桐朋音大へ入学されてからの音楽活動は変わりましたか? 桐朋音大には幼少期から英才教育を受けてきたような人がたくさん入学します。そんな中でどちらかというと劣等生だった自分が合格してしまった。入学して2年間位は皆についていくだけ大変でした。高等部まではブラスバンドでしたが大学になると全否定され「音楽の最高峰はオーケストラだ」と…。それでだんだんオーケストラの良さを知って、その環境に馴染んでいったのですが、ふと「オーケストラは自分が100%いかせる場ではないのでは?オケの中で打楽器の存在は、いわば塩コショウ。強すぎると邪魔だし、無いと何か物足りないという。 オーケストラの中では、おそらく隠れた存在ですよね。 もちろん主役になる曲もあります。オーケストラは、いわばさまざまな楽器の職人さんの集合体。それは意味のある、価値のある素晴らしい仕事です。でも僕のキャラクターと合うか?というと非常に不可解な気がしたんです(笑)。割と思い付きで行動するほうですし、もっと表現したいのになぜ座って待っていないといけないの?みたいな。僕はおもしろそうなものがあると手当たり次第に手にとって確かめたくなるタイプ。それでオーケストラは向いていないかな…と思ったのが大学4年生頃でした。 音楽家として、マリンバ奏者として、生きて行こうと決められたのもその時期ですか? そうはいってもオーケストラ演奏のバイトで生活をしていましたがマリンバとの出会いはその頃でした。後に師匠となる安倍圭子さんのマリンバコンサートに行って、それはそれはビックリしました。打楽器は「スパイス」のイメージだったのが「クリエーティブ」の塊のように感じました。楽器を通して自分の人生を投影しているかのような。コンサートを終わった時の映画一本観終わったようなぐったり感(笑)。これまでコンサートでは、モーツァルトのあの曲がよかった…という具体的な感想でしたが、コンサート全体のストーリー性が絵巻きのようでした。僕にとって打楽器がスパイスからステーキに変わる瞬間でした。このメインディッシュをもっと食べてみたいと思ったんです。 ⇒ [3]を読む |
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