■なりゆきは軽い感じですが、やはり下積みも大変ですよね?落語を途中でやめたくなったことはありませんでしたか? 僕は大学3年の20歳の時に弟子入りし、24歳まで修業でした。大学も行って、落語もあって、という二足の草鞋だったから逆によかったと思うんですね。落語は4年間修業で、そこで礼儀作法とか気遣いを仕込まれます。覚えることだらけですし、つまらないわけです。でも、僕にとって落語家になることは、メリットはあってもデメリットはなかった。例えば、大学時代に演劇をやって人間関係で色々あるわけです。素人でこんなことがあるわけですからプロになったらもっと熾烈なんだろうなぁ、と。でも落語は舞台に上がればいつでも主役は自分ですからね。売れても売れなくても100%自分のせい。他人のせいにしなくていい仕事って潔いじゃないですか。演劇は舞台が終わればその役も捨てることになりますが、落語は一度噺を覚えればどんどん蓄えることができて、芸が増えてゆく。まぁ、こんなに大変とは思わなかったですよ。
■いつも決断は速そうですが、その後の展開がおもしろいですね。小さい頃はどんなお子さんでしたか? 体が動いて仕方なかったですね。虫や動物が大好きで。話をすることが好きだったかというと、うん、そうだったかな。でも人前で何かをするよりも、スポーツをしているほうが好きだったかな。
■毎日どのような落語の勉強をされているのですか? 基本をしっかりやっています。新作をやっておもしろい人は古典もおもしろい。古典落語のルールが身についているんですね。僕らの世代だとビデオやテープから学ぶこともできるのですが、僕は何しろ死んだ人の声で教えてもらうのが怖くて(笑)。言葉だけでなく仕草も身につけないと。落語は奥が深いんですよ。今までこんなに頭を使ったことがないので、本当に頭が痛いです(笑)。
■以前、師匠を高座で拝見した時は笑点の時とはまた違っておもしろかった。やはり「木久蔵」は演じていらっしゃるのでしょうか。 高座がおもしろいのは落語家として名誉なことです。師匠はあまり変わらないし、何事も無理しない。理論はないんです。こういうものだというタイプなんです。独特でしょう?でも本能でわかる。言っていることは間違っていないし、信用できます。
■いまどきの子どもたち(主に小学生)をどのようにお感じですか。 給食、運動会、テスト…。どれをとっても僕らの子ども時代は、悔しい思いをするから頑張れたし、感情を揺さぶる要素がいっぱいあったと思うんです。人間なんて紐解けば平等なんかあり得ないですし、そういうことを知っておくのは大切なんじゃないかと。今は歯を食いしばって上を目指すんじゃなくて、下に合わせて皆を落とすように頑張っているような気がするんです。今、落語界も大学卒業してから入門する人がいますけれど、勉強ができても、コミュニケーションできない人だっている。人を思いやる気持ちをもてないんですね。嫌だと思う世界に近づかないで、自分の世界だけで生きていけてしまう。僕は、勉強より、人間形成を重んじたほうがいいんじゃないかと考えています。もちろん、これから自分の子ができたら違う見方があるかもしれませんが。
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