■バイオリンからピアノに転向されたのはいつ頃でしたか?ピアノは16年も続けられて、音大進学も考えられたと著書を拝見して知りましたが。 中学上がる頃にピアノを習うようになりました。本当に好きだったの。でも音大は小さい頃から英才教育を受けていないと合格できないし、プロのピアニストになれないなら、とあきらめたの。普通の大学に進学してからは、一切ピアノを触らなくなっちゃったわ。がむしゃらに花の道を突き進んできた。仕事も忙しくて時間の余裕もなくなってしまったしね。でも、44歳になって自分の中の柱のひとつとしてまた始めることにしました。人前では弾きませんよ。恥ずかしいので!自分だけの愉しみです。
■やはりお父さんとお母さんの子どもを見守る力は大きいですね。 そう。よく自分の子を観察してみることです。親の主義主張、夢、希望を子どもに押し付けないことが大切。押し付けると、子どもの心って歪むと思うんです。その子が好きなこと、やりたいことって、絶対あるはず。子どもといえど一人の人格です。その芽を摘み取ってしまうのは許されません。子どもは子ども、親は親。子どもが自分の道を見つけられるのを手助けをするのが、親の役目なんですから。
■小さい頃に体験されたどんなことによって、今の假屋崎さんを形作っているのでしょうか。 私はおっとりしたタイプで、家族の愛情も満たされていましたが、唯一不満だったのが「家」でした。美しいものが好きだったせいか、「どうしてうちはこんなボロいの!」とね(笑)。昭和30年代はどこも似たような家でしたけれど、その反動で「将来は宮殿みたいな美しい家に住むんだ!」と思い込んでいたものです(現在、青山に新居を建築中)。
■華道の世界の第一線でご活躍ですが、この先どんなことをしてゆきたいですか? 「華道家」という肩書きって、私が言い始めたら追随する人がでてきた。こういう立場になると、足を引っ張ったり、根も葉もないことを言いふらしたり、嫉妬する人もたくさんいるものです。でもね、私はそういうマイナス要素に絶対負けないの。「冗談じゃないわ!やってやろうじゃない!」なんて、燃えちゃうわけです。マイナスのエネルギーを全部プラスに転じるの。これは、尊敬する美輪明弘さんからの教えです。
■全国各地から700名余りの生徒さんが假屋崎さんの花教室に通われていると聞いています。 入学式があっても卒業式がないので、自由に通いたい方にお越しいただいています。ライフスタイルが変わって一旦疎遠になる方はいますが、辞めてしまう人はほとんどいない。それこそ香港やシンガポールからも遊びにきてくれる生徒さんがいるくらい。月に11日間開催し、各教室3時間弱の授業のため、参加されている生徒さん一人ひとりとお話をする時間が、ほんの数分しかないんです。それでも、普通は看板の先生って、毎回授業には参加せずにお弟子さんに任せてしまうのが常ですが、うちは生徒とコミュニケーションを大切にすることを徹底しています。それに、お花をいけるのは、単に技術だけでは駄目なんです。何が必要かって「美意識」。その真の意味を生徒さんにお教えしてゆきたいです。うちの教室は本当に良心的ですよ!
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