■幼少の頃はどんなお子さんでしたか? 私はとてもおとなしくて内気で優等生タイプで、すぐ転んじゃうような弱々しい子どもでね。小学校から中学校へ上がるまでバイオリンを習っていたの。お花を育てたり、音楽の素晴らしさに触れるのが好きでした。でも、たとえ同年代の子と趣味が合わなくても、一人で静かに自分の世界にいることが全然苦痛ではありませんでした。
■物静かな子だったのですね。当時からお花が大好きだったのは何か理由がありますか。 うちの両親ともガーデニングや園芸が大好きだった影響をうけ、私も庭いじり、お花を育てることが好きでした。父は鹿児島県出身で公務員、母は長野県出身で専業主婦。今から50年ほども前の戦後すぐの話です。都内の棟割長屋という借家住まいで小さな庭でしたが、毎年桜、菖蒲(しょうぶ)、バラ、沈丁花(じんちょうげ)、紫陽花(あじさい)など、花をつける樹や、球根から育てる花などたくさんの種類の花に囲まれ、季節ごとに花を植えていました。父は寡黙で質実剛健なタイプ、母はいつも笑顔を絶やさずシューベルトを口ずさんでいる美しいものが好きな人でした。両親とも暇さえあれば庭に出て花の手入れをしていたので、幼い頃から花が身近にあったし好きになった。自分で品種改良の真似事みたいなこともし、結構本格的でした。
■親御さんは寡黙な假屋崎さんをどのように見守られていましたか? 好きなようにさせてくれました。あれしろ、これしろと全然口うるさく言わない両親でした。それどころか、私の才能を見越してくれて、好きなことを続ける私を応援してくれた。結局そういう大らかさが要因となったおかげで、今日の假屋崎省吾となったわけです。
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