■世界とかオリンピックの桧舞台を意識するようになったのはいつごろですか? 小5で井村先生に出会って、急激に世界が近くなりました。ちょうどロサンゼルスオリンピックの1984年で、井村先生はその年から正式種目になったシンクロのコーチを務めていました。オリンピック選手の練習を見る機会もあって、自分にもその舞台にたてる可能性があることを知りました。小学校の卒業文集にも「オリンピック選手になりたい」と書きましたね。体力や感覚的なものが急激に伸びる9、10歳から高学年が、スポーツの習い事のゴールデンエイジといわれていますが、ちょうどその時期に良い指導者と出会えたのは本当に大きかったですね。
■“世界”や“オリンピック”という夢を実現できたのは、心から信頼できる指導者との出会いのおかげだと? 中2の時、初めて海外遠征でスペインのマドリッドに行きました。「6年後に行われるバルセロナオリンピックの会場はここです」と案内してもらった時、古いコロシアムの外観だけがあって「ここでオリンピックをやるんだ」と意識するようになりました。そして、そこで開催された大会に出場し、いきなり優勝したんですね。採点競技というのは、海外で成績を残すと国内での見られ方が急に変わる。それで階段を一気に駆け上がるように、国内での評価も上がっていきました。あとは“井村先生が目をかけてる子”ということで、まわりの印象も強かったというのもあります。そういう意味でもラッキーでした。
■初優勝を飾ったバルセロナで6年後、本当にオリンピックのメダルを獲ったのですから、なんだかドラマチックですね。 当時の私はジュニアでトップというだけで、自分が強化選手に入れるなんて思ってもいませんでしたが、今となっては何かがつながっていたのかなと思います。いろんなものを見たり、人に出会ったり、チャンスが常にあった。それを見逃さず、常に自分の心にインプットしてきたことが大きかったと思います。
■高校に入ってからも国際大会で成績を残されていますが、ひたすらオリン ピックを目指して……という感じだったんですか? オリンピックばかり注目されますが、他にもワールドカップや世界選手権などの大会があって、それをこなすだけで精いっぱい。オリンピックのことを本気で考えるようになったのは前の年、大学1年の頃ですね。
■日本では特にシンクロはメダルの期待度が高い種目なので、やはりプレッ シャーが相当掛かったのでは? オリンピック前は練習だけで1日10時間以上泳いでいましたし、それ以外にもミーティングやウェイトトレーニング、ダンスのレッスンなど、こなすメニューが多すぎて、実はプレッシャーを感じる暇もありませんでした。“まわりの期待なんて知ったぁこっちゃない”と(笑)。それが逆によかったのでしょう。オリンピックの年はものすごく練習しましたが、あれぐらいやらないと、あの舞台で普通の演技はできないと身をもって知りました。
■結果、ソロとデュエットで銅メダルを獲得。結果には満足でしたか?金を獲れずに悔しかった? シンクロは天候に影響を受けるものではないし、一か八かみたいな世界ではないんですね。もちろん金メダルが獲れれば一番うれしいですが、採点競技の場合、オリンピック前の大会で良い成績だったとか、そういうことがジャッジに入っている。だから、突然金メダルが獲れるということはあり得ません。銅は予想通り、もしかしたら銀かも…と期待をしていました。
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