■尋常でない根気と、天性の器用さをフル活用されたと思いますが、周囲の方々の反応も賞賛の嵐で、それがまた広瀬さんの活力になっていたのでは?? そうですね。道を歩いて近所のおばさんに「みっちゃん、いいセーター着ているわね。私、太っちゃって何かいいセーター編んでくれない?」なんてオーダーが入ったりして。この模様とこの模様を組み合わせるとおもしろいから、こう編もうとか自分なりに色々考えるのが楽しかったんです。彼女がいる男子は手編みのセーターを着ることができましたけれど、彼女がいない人がほとんどでしたから(笑)。そういう男子に手袋を一晩で編んであげたり。プレゼントすると皆に「ありがとう」と言われると、またうれしくて。手づくりの体験の喜びが身にしみこんでいたんですね。
■心をこめて作ったものを「ありがとう」と感謝されるのは何物にも代えがたい喜びですよね。ところで、広瀬さんの編み物歴は何年くらいに及ぶのでしょう? 中学から始め、高校、就職してからは会社の女の子を集めて会議室で編み物教室を開き、19才で夜間の編み物学校に3年間通い、水産会社で経理をやっているよりも自分が好きな編み物を仕事にしていきたいなぁ……と思うようになって22才で日本ヴォーグ社に中途入社しました。単に「編んでいた」というより、「編み物を職業にした」時から換算すると29年になりますね。
■水産会社の経理から、編み物の世界へ……という転身も珍しいですよね。 子どもの頃、そろばんを習っていたのでそれを活かして商業高校を選び、簿記の資格を取りました。そういう意味では、それが職業を選択する指標になっていました。水産会社の経理をしていた当時、ちょうど社会的に電算化の波がきました。入社した頃は大きな電卓が1台しかなかったのが、どんどん小さくなって一人1台数千円で電卓をもてるようになりました。このまま勤めていても、私が身につけてきた簿記やそろばんは、役に立たなくなるかもしれない。そう感じたのと、編み物の夜間学校を卒業するタイミングが同じでした。中途入社できたのも何かの縁とかタイミングだと思います。
■編み物の専門学校の中でも、ひときわ優秀だったのでは?? 夜間部でしたが、昼間部の人にも負けたくなくて。毎回3時間授業の中で編むのですが、毛糸のパンツからあらゆるアイテムを編んで、大体100枚くらい卒業するのに編まなくてはならなかった。ですから、周りとおしゃべりする時間なんてありません。手編みはできて当たり前、機械編みをマスターしないと職業としては成立しませんから。厳しかったですよ。
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