■今日お召しのニットポロもご自分で編まれたものですよね?素敵です。ニット創りは洋裁以上に、計算も必要ですし根気がいる仕事だと思いますが、小さい頃はどんなお子さんでしたか?習い事は何かされていました?
そうですね。やんちゃな男の子ではなかったです。昭和30年代はどの家庭もそうだと思いますが、既製品が売っていなかったので何でも手づくりのものでしたから、親のあたたかさみたいなものを受けて育っていたと思います。私が小学生の頃は、習い事といえば「読み・書き・そろばん」が定番で、書道とそろばんを習っていました。そろばんのほうが好きでしたね。
■編み物も計算が必要ですから役立っているのかもしれませんね。小学生時代から編み物に目覚めていらしたのですか?
小学校時代はリリアンに凝っていました。母が洋裁をする人。祖母はよく毛糸をほどいていたので、糸巻きの手伝いをしたものです。だから毛糸との出会いは、小学3年生頃ですね。家庭科の成績はいつも5。「広瀬くんってすごいね」「女の子より広瀬はうまいなぁ。そういう点は伸ばしていったほうがいい」と友達や先生に褒められて一目置かれるから自信もつきました。その頃の一言って今でも心に残っているし、とても大切ですね。
中学にあがってから、技術と家庭に女子男子が分かれてしまったので残念でした。女の子がクッションや刺繍をしているのを眺めて、キットを余分に一個買ってもらって、こっそり私も作っていたり……なんてこともありました。でもね、人と違うということで賞賛を受けることがあっても、その当時は「お前は男なのに変だ」とか、それをもとにイジメられたりなんて全然ありませんでした。体を動かすのも好きでしたけれど、マフラーや手袋を編んで、友達にプレゼントしたり。
■その頃から力を発揮されていたのですね。高校に行くと、もっと創りものが高度になったのでは??
はい。進んだのが商業高校で、女子の割合も多くて。皆がセーターを編んでいるのを見てビックリ。これはスゴイ!と影響を受けたのがキッカケでした。マフラーができるんだから…と見よう見まねでセーターの編み方も覚えました。高2の秋に東北地方へ修学旅行に行くことになって、皆が着ているような既製品のものより、色は黒や茶で同じでも、デザインが違う自分が編んだものを着たかったんですね。ところが、負けず嫌いでしたから女子に編み方を聞くのがシャクでしてね(笑)。詳しい編み方が書いてある本の通りに、糸も針も編み方もその通りにやってみたにもかかわらず、出来上がったセーターはなぜか小さくて……。ゲージというものを取ることすら知らなかったのです。夏から編み始めて3カ月。2度ほどいて3度目でようやくイメージ通りのものを仕上げることができました。着ていると、「え?これ広瀬がつくったの?」「すごいじゃない!!」と皆に言われて。うれしかったですね。
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小学校入学式。名前の名札がとっても大きかった。 昭和37年頃は、すべて手作りの時代だった |
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