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シリーズこの人に聞く!第9回 ニットデザイナー 広瀬光治さんから学ぶ「手づくりの充実感」
シリーズこの人に聞く!第9回 ニットデザイナー 広瀬光治さんから学ぶ「手づくりの充実感」
広瀬光治(ひろせ・みつはる)

1955年、埼玉県生まれ。日本編物文化協会副会長。
高校卒業後、水産会社に勤めながら、霞ケ丘技芸学院の夜間部で編み物を本格的に学ぶ。
その後日本ヴォーグ社に入社し、編み物雑誌の編集長などもつとめる。93年からNHK「おしゃれ工房」や「趣味悠々」をはじめテレビにも出演し、長身で華やかな品のある容姿から「ニットの貴公子」として人気がブレイク。99年からフリー。
現在は編み物普及のために全国を講演に回る一方、専門分野のみならずバラエティーや子供向け番組などにも出演。また新聞雑誌の取材、編み物本の作品デザイン等で多忙な日を送りながらニットの楽しさを広く伝えている。
 
今日お召しのニットポロもご自分で編まれたものですよね?素敵です。ニット創りは洋裁以上に、計算も必要ですし根気がいる仕事だと思いますが、小さい頃はどんなお子さんでしたか?習い事は何かされていました?
そうですね。やんちゃな男の子ではなかったです。昭和30年代はどの家庭もそうだと思いますが、既製品が売っていなかったので何でも手づくりのものでしたから、親のあたたかさみたいなものを受けて育っていたと思います。私が小学生の頃は、習い事といえば「読み・書き・そろばん」が定番で、書道とそろばんを習っていました。そろばんのほうが好きでしたね。

編み物も計算が必要ですから役立っているのかもしれませんね。小学生時代から編み物に目覚めていらしたのですか?
小学校時代はリリアンに凝っていました。母が洋裁をする人。祖母はよく毛糸をほどいていたので、糸巻きの手伝いをしたものです。だから毛糸との出会いは、小学3年生頃ですね。家庭科の成績はいつも5。「広瀬くんってすごいね」「女の子より広瀬はうまいなぁ。そういう点は伸ばしていったほうがいい」と友達や先生に褒められて一目置かれるから自信もつきました。その頃の一言って今でも心に残っているし、とても大切ですね。

中学にあがってから、技術と家庭に女子男子が分かれてしまったので残念でした。女の子がクッションや刺繍をしているのを眺めて、キットを余分に一個買ってもらって、こっそり私も作っていたり……なんてこともありました。でもね、人と違うということで賞賛を受けることがあっても、その当時は「お前は男なのに変だ」とか、それをもとにイジメられたりなんて全然ありませんでした。体を動かすのも好きでしたけれど、マフラーや手袋を編んで、友達にプレゼントしたり。

その頃から力を発揮されていたのですね。高校に行くと、もっと創りものが高度になったのでは??
はい。進んだのが商業高校で、女子の割合も多くて。皆がセーターを編んでいるのを見てビックリ。これはスゴイ!と影響を受けたのがキッカケでした。マフラーができるんだから…と見よう見まねでセーターの編み方も覚えました。高2の秋に東北地方へ修学旅行に行くことになって、皆が着ているような既製品のものより、色は黒や茶で同じでも、デザインが違う自分が編んだものを着たかったんですね。ところが、負けず嫌いでしたから女子に編み方を聞くのがシャクでしてね(笑)。詳しい編み方が書いてある本の通りに、糸も針も編み方もその通りにやってみたにもかかわらず、出来上がったセーターはなぜか小さくて……。ゲージというものを取ることすら知らなかったのです。夏から編み始めて3カ月。2度ほどいて3度目でようやくイメージ通りのものを仕上げることができました。着ていると、「え?これ広瀬がつくったの?」「すごいじゃない!!」と皆に言われて。うれしかったですね。

小学校入学式。名前の名札がとっても大きかった。
昭和37年頃は、すべて手作りの時代だった
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