お母様の手料理で強い体が少しずつでき上がってスポーツも得意になって、プロのテニスプレーヤーを目指していらしたとか。 中学時代はバスケットをしていて、高校でテニスを始めて、錦織圭君みたいなプロになることを夢見てとにかくトレーニングを積み重ねる日々でした。思いは人の10倍も20倍もありましたが、実力が足らず……15歳から始めたテニスでプロになるなんて無謀ですが、何とかしたいと策を練って、「食を一流のテニスプレーヤーと一緒のものにしよう!」と、図書館で蔵書を探し、ものすごく研究しました。我が家の基本方針が『世の中で一番大切なのは、ご飯を食べること』でしたから、多少の悪さをしても叱られませんでしたが、ご飯を食べないとすごく怒られた。いただきますからごちそうさままでに大事なことはすべて詰まっている、という考えでしたね。 すごい!徹底的に「食」。プレイの技術を磨くとか、いい指導者につくとか以前に、食事に注目したのはユニークですね。 当時、アメリカの有名な栄養博士が、プロテニスプレーヤーに一年間食事プログラムを作っていた。おお、こんな食事をしているのか!と目から鱗で。真似して僕も同じものを作って食べるようにしました。良質な筋肉を作るためには高タンパク低カロリー。普段は鶏肉ささみが中心、大会数日前はエネルギー効率を高めるために、炭水化物中心の生活に変える。アメリカでは炭水化物といえばジャガイモやパスタで、僕は当時そんなのばかり食べていました。最初は母に頼んで作ってもらっていましたが、そのうち申し訳なくて、弁当も自分で作ろう…となって。 テニスの王子様は弁当男子でしたか!親に何でもやってもらって当たり前と思う昨今の高校生に比べたら、その自立心すごいわぁ。 すべては『プロテニスプレーヤーになるため』で。朝弁当作って、練習行って、お金貯めて留学しようと思っていたのでパン屋でアルバイトもしていました。有名コーチのいる神戸のテニスクラブに通っていて、練習してから帰宅…という生活。そのうち弁当だけでなく、家で食べる料理も作ろうと、独学で栄養学と料理の勉強を始めました。テニスプレーヤーになろうと思っていたのに、どんどん料理の腕があがって、まさか20年後に料理の世界に入っているとは……(笑)。勉強するうちに知らない世界へどんどんのめりこんで。その時の勉強が今、役立っています。人間が死ぬ気で勉強したことは、ぐるぐると巡り巡って結局自分にかえってくるものです。 自主的に動いて学ぶ知識はいつか役立ちますよね。ところでお弁当開くとお友達に「すごい!」って感嘆の声あがりませんでした? 自分で作っていることは伏せていましたから。それに2時間目くらいでお腹がすいちゃっていつも早弁。それでも足りず学食で何か食べて…。そんな生活をしていたのでテニスの練習が間に合わなくて……結局、テニスに没頭したくて学校を辞めました。今でこそ高校中退してもいろんな選択肢がありますが、外国籍でしたし、当時の中退は周囲を説得するのが大変でした。「これからどないすんねん?」と心配されて、高卒学歴がないと人生終わる…という風潮で。でも、僕の熱意は「テニスに人生賭けたい」で、両親、きょうだい、近所の人、中学の時の先生、毎日入れ替わり立ち替わりいろいろな人に「高校だけは卒業しろ」と言われましたが、数ヵ月かけて説得して、最後は僕の熱意が勝った。卒業しない代わりに大検は取れ…と言われたので、それは取りました。テニスをあきらめたら大学へ進学する…という約束で。 ⇒ [3]を読む |
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