いちむじん さん » いちむじんさん 公式サイトはこちらいちむじん(土佐弁で一生懸命という意味) お二人は高知県出身でご同郷ですね。まず最初にそれぞれのご家族や幼少期についてお話し伺えますか? 僕は3歳上の兄と、9歳下の妹がいる3人きょうだいの真ん中で、おばあちゃんッ子で育ちました。チョロチョロしていて活発な子でしたが、その反面プレッシャーをかけると殻に閉じこもってしまう。小2の時、掛け算を暗記しないと帰れなくて、皆で残って勉強していた時にトイレへ行きたかったのに恥ずかしくて言えず、もらしちゃった…ことを覚えています(笑)。 僕はひとりっ子で幼稚園時代は香川県高松市で育ち、小学校に上がる時に高知県へ。父はかなり厳しくて、ゲームや遊び道具は、買い与えてくれませんでした。とにかく人を笑わせるのが大好きで、ものまねが得意な子でしたね。唄うのが好きで歌手になりたくて、いちばん最初にCD買ったのは「島唄」でした。他はスピッツの歌もよく唄っていました。 それぞれ素のキャラクターが垣間見れますね。習い事は何かされていましたか? 習い事はたくさんしていたほうです。兄が通っていた習字に憧れ「やりたい!」と小1の時、親にせがみましたが「小学校3年生からね!」と却下。墨は使わせてもらえませんでしたが、硬筆をその頃から熱心に習いました。同時にスイミングも行き始めましたが、1年も通わぬうちに中耳炎になって辞めることに。水を怖がらない泳ぎの基本はマスターできました。それと公文、放課後にスポーツクラブにも所属。僕は小4位から暗い時期があって、学校は行っていましたが割と引きこもり気味で、それを心配した親がスポーツをする環境を与えてくれた。体を動かすようになったおかげで、前向きになれました。 サッカーと水泳をやっていました。水泳は幼稚園時代から、サッカーは小学1年生からです。 音楽を子どもの頃からたしなんでいらしたのかと思いましたが、そうではないんですね。ギターとの出会いはいつでしたか? 僕は中学の頃、ハンドボール部に所属していて、中3で部活を辞めてから友達のギターを貸してもらい初めてギターに触れ、そのギターの音に感動しました。その後、高校に入学してから弓道部に入部したものの、結核になってしまい3ヵ月近く入院生活を送りました。医師から過激な運動はしないように言われていたので、退院してからギター部に転部してギターを本格的に始めました。 僕は中2のクリスマスプレゼントに父からフォークギターをもらいました。本当はエレキギターが欲しかったのですが、父に「不良になるからイカン!」と言われ、ギターは安心だったのかもしれません。通っていた高校に音楽コースというのがあって、そこでクラシックギターを習い始め、ギター部にも入部。僕らが入って10名ほどのメンバーでした。 お二人が出会ったのは高校時代ギター部で、ということですが、指導してくださった先生はどんな方でしたか? 僕は勉強もスポーツも人並み以上にできるタイプではなかったので、自分に自信がなかった。ギターを指導してくださったその先生に出会ったことで、初めて褒めて頂けたことで自分の中で何かが変わっていきました。先生はギターの大きなコンクールで優勝もされていた方でしたが、プロになるか教師になるかという選択で、学校の音楽教員を選ばれたんですね。 お二人が高校卒業後、同じ学校へ通うために上京したのは仲良しだったからですか? そういうわけではないんです(笑)。ギターの音楽学校は東京か広島か限られていた。東京には僕らを指導してくれた先生の恩師が教鞭を取っておられて、僕らは孫弟子として門下生となりました。大学では僕らが一期生です。 ![]() |
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