小野 絢子(おの あやこ)さん 東京都出身。小林紀子、パトリック・アルモン、牧阿佐美に師事。小林紀子バレエアカデミー、新国立劇場バレエ研修所(第3期修了生)を経て、2007年新 国立劇場バレエ団にソリストとして入団。主な受賞歴に、アデリン・ジェニー国際バレエコンクール金賞などがある。入団直後にビントレー『アラジン』の主役に抜擢される。その後、『くるみ割り人形』、『白鳥の湖』、ビントレー『カルミナ・ブラーナ』、プティ『コッペリア』、フォーキン『火の鳥』で主役を務めている。2010年スワン新人賞を受賞。2011年プリンシパルに昇格。平成22年度(第61回)芸術選奨文部科学大臣新人賞。第 42回舞踊批評家協会新人賞。第30回服部智恵子賞。 » 新国立劇場バレエ団 公式サイトはこちら 第一印象はお顔が小さくて妖精みたい!という小野さんがバレエを始めたきっかけは? 4歳上の姉がバレエを好きになって習い始めたのを見て、私も真似て通い始めました。とはいえ幼稚園生は幼児科といってバーレッスンなどは無くて、音楽にあわせて楽しく踊ることから入りました。音楽に合わせて踊ることが楽しくて。お遊戯会も好きでしたし、小学校にあがってから日本舞踊も始めました。バレエも日舞もどちらのお教室も家からとても近い好環境でした。 バレエと日舞どちらもされていたのは熱心でしたね。 私にとっては踊りというカテゴリーでどちらも同じくらい好きでした。姉も習っていて、お友達もたくさん一緒にやっていて、しかも近所にお教室があった。姉が始めなければ私も、何も始めてなかったかもしれません(笑)。日舞は子どものために基礎教室をやっていたのでお友達とグループで習っていました。バレエと日舞は着るものが違う…という位の認識でした。日舞はとても厳しいお稽古でした。おかげで礼儀作法や集中力が身につきました。 バレエダンサーになるには英才教育が必要なのでしょうか?小野さんの場合はいかがでしたか? いいえ。バレエの先生はのびのびとレッスンをさせてくれました。小学校に上がってからは週1~2回のレッスンでしたので、放課後はお友達と遊ぶことも多かったです。高学年になったら週3回。年齢と共にお稽古のレベルアップと通う回数も変わりました。劇的に増えたのは高校生になってからで週4~5回は通っていました。 中学、高校と進むにつれて勉強も学校のクラブ活動もあるし、バレエと両立させるのは大変でしたか? 中学では何かしら部に所属しないとならなかったので、自主的に活動すればいい美術部に入部しました。バレエを続けたかったので部活動は帰宅部に等しかったのですが(笑)。もともと私はスポーツが苦手。体育会系の部活には入る気はなくインドア系でした。高校は無理なく通える、家から30分圏内の学校にしました。父の仕事の都合でアメリカの赴任先で生まれたもので、私は国籍が2つあるので何となく英語はできたほうがいいかなと思って、英語科のある高校へ進学し、在学中に留学も経験しました。2ヵ月バレエ学校を休み、進路について考えました。そして大学には行かずに、卒業後はプロを目指すことを決めました。 ![]() |
|