先日はNHKの深夜番組『NEWS WAVE』にもご出演されて、生放送中にツイッターと連動して視聴者からのコメントも入るような仕掛けがあったそうですが、どんな反応でしたか? 僕の出演と同時にツイートがどんどん入って、そのほとんどは組み体操批判でした。投稿者自身が体験者という方もいて「ほんまにひどかった」というような。土台は、てっぺんの子より人数も多いので当然声も大きくなるわけですが、膝に砂がめり込んで痛い…というような声です。 一体感とか、感動はフィクションで、先生たちも騙されている。「組み体操に対して先生たちが感動や一体感という幻想を抱いている」と理解した方が正しいです。 感動幻想という概念は、組み体操以外にも当てはまりそうです。内田先生はそもそもこうした教育現場で生じる問題を研究・調査されていますが、なにがきっかけでこのフィールドを専門に選ばれたのですか? そもそも世の中で苦しんでいる人の声を感知したいというのがあります。個人的には何の経験もありません。僕が最初にこうした問題に取り組んでいることを知られるようになったのは柔道の死亡事故です。善きもの、正しいと言われている背景に、苦しんで声にならない人がいます。つまり、みんながYESという中で、必ず言語化できない人がいるのです。集団的価値観によって、そうした苦しみをかき消しているのだとしたら、それは問題でしょう。 ご著書では、2分の1成人式についても家族幻想をもとに虐待無視でされていると指摘されています。実はこの行事も、先の巨大ピラミッド化する組み体操と同じ問題が根本にあるのかな…と思い読み進めました。つまり「善きもの幻想」にがんじがらめにされていて、異論を許さないというか…。 学校的価値観には9割の保護者が賛同して、残り1割は別の捉え方をしています。僕はこの仕事でデータをベースとした分析・解説をしていますが、根底には「集団的縛りの強さが過ぎるのではないか?」という思いがあります。日本的な教育観を変えるべきなのでしょうが、それを前面に出すとただの価値観の対立となってしまう。問題を改善するには価値観を闘わせるよりも、可能な限り、エビデンスをもとに話し合っていくべきです。エビデンスがあると反論が難しくなるものです。 この1年半で運動会の「組み体操」が善きものとされてきた意識が段々変わり、世論も学校も変化してきたと思われますか? 組み体操の問題を私が世に問うたのが1年半前ですから、あのときを思えば、世論は確実に変化しました。しかし、巨大ピラミッドの事故は、未だに続いています。でも、1年半の間に、みんなの感動の呪縛が解けてきました。「教育」とは、子どもの成長を前向きに考えていく営みです。それゆえ、なかなかネガティブな側面が見えにくい。でも、たとえ少数であっても子どもの苦しむ声が聞こえるなら、まずはその声に耳を傾ける必要があります。にもかかわらず、教育のポジティブな側面だけを見て、少数の声を聞こえなかったことにすること自体が問題です。 ⇒ [3]を読む |
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