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ウクレレミュージシャン 高木ブーさんこぶ茶バンドとして今なお活動する3人。
音楽の実力があってお笑いもできるドリフターズ。こぶ茶バンドとして今なお活動する3人。

ビートルズ来日の際はドリフターズが前座を務めたというのもすごい歴史で、なぜバンドからお笑いへと移行したのか興味があります。

長さんが声を掛けてくれたのは僕にギターの実力があると買ってくれたのだと思っていて、ある時聞いてみたら「見てくれだよ」と。音楽性よりもビジュアルのインパクト重視で、テレビの時代になることを予測していたの。でも長さんは根がまじめだから笑いに対する姿勢も厳しかった。お手本はクレイジーキャッツ。ドリフは先見の明からか、音楽性よりも笑いを重視するグループになっていた。ビートルズの前座は最初、30分の予定がどんどん削られて1分の持ち時間。武道館を埋め尽くすお客さんが待ち焦がれているビートルズの前に、僕らが表れて皆ズッコケていました(笑)。

ドリフターズもメンバーチェンジが何度かあったと聞きましたが…。

いかりや長介さん、荒井注、加藤茶、仲本工事、高木ブーの5人は第6期のドリフターズです。 年齢的には荒井さんが長さんより2つ上で最年長でしたが、長さんリーダーで何となくそれはマズイということで若干年齢も偽っていた。僕は長さんより2つ下で、加藤と仲本は10歳下。荒井さんが抜けてから新メンバーになった志村けんはさらに10歳下でしたからメンバー集まっても喧嘩にならなかったんですよ。

スタジオ撮りの生放送でなく、観客のいる舞台。あの頃、観覧に行くかテレビで観るかしかなく、観覧席に憧れたものです。

ディレクターと放送作家と僕らメンバー5人の7人で木曜会議して、翌週土曜日のネタ決めして台本作り。金曜日にスタジオで立ち稽古。土曜日に本番。日曜日から水曜日は地方巡業。正月は有楽町の日劇で10日間公演、ゴールデンウィークは浅草の国際劇場とその時だけやむを得ず録画でしたけれどね。あれはすべてシナリオがあって演じていました。アドリブはほとんどなし。そうでないと時間内に終わらないので。タイムキーパーには常に巻かれていました。
舞台には僕ら5人が出演していた一方で、あれを支えてくれているスタッフは総勢200名くらいが舞台裏にいた。大道具、小道具、美術、照明、放送作家、ディレクター、プロデューサー、メーク、衣装、ゲストのマネージャーや、坊やと呼ぶアシスタント…すごい人数でした。

インターネットのない時代に全部アナログで作りあげてきたのですからすごいです。視聴率55%と言われたこともありますね。

69年10月に「8時だョ!全員集合」が放送開始して高視聴率で人気は天井知らずでした。他のメンバーはどういう心境だったかわからないけれど、僕は「こうなったらどうにでもなれ。行けるところまで流されて行こう。そのうちどこかに流れ着くだろう」という気持ちでした。はっきりした決意なんてありませんでしたが、流れに身を任せてきていましたから。ただし忙しくて家にいることがなかった。娘のことも妻に任せきりで自由に育ったと思います。学校行事などは一切行けず、娘の高校卒業式にようやく式典参列できました。

最愛の一人娘かおるさんと2ショット。

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