師匠は健康を損なわれたことがあってから、体のことを人一倍気遣って過ごすようになったとか。 38歳の時、過労で倒れました。当時、飛行機に年間317回も乗車していたので肋膜炎という病気になってしまいました。そうしたことがあって体を労わる大切さを知りました。マラソンを始めたのも、健康維持のためです。家を建てる時にお風呂場には思い入れがあって古代ヒノキを使ったお風呂にしたり、家の敷地に炭を10トン敷いたり。師匠には「よく焼けそうだ」と言われました(笑)。 95年阪神淡路大震災が起こって、被災された方へ寄付をされるために落語のCDを販売されて爆発的に売れたとお聞きしました。 鹿児島県民は阪神淡路の方面へ出て働く方が多いのです。私が鹿児島弁で新作落語を話した最初の落語家なもので同郷の方が懐かしがってくださったのもあり、売れたCDは6年間で45万本。鹿児島弁のイントネーションはフランス語に似ているようです。被災され絶望の淵におられた皆さんに、少しでも笑いを届けられたかと思います。 小学生くらいまでの子どもを育てる親に、師匠の経験を通じて子育てアドバイスを送って頂けますか? 私だけではなく、子どもにとって母は宇宙です。母親を助けるために子どもって生まれてきたと思うんです。生まれたての赤ちゃんってお母さんの心臓の音を探して泣くのだそうです。 キャリア37年の師匠は落語会の重鎮的存在になりつつありますが、これからはどんな活動をされたいですか? 唄も歌いたいですし、絵も描きたい。作詞もしたいし、蔵書も改めて読み返したい。やりたいことはたくさんあり過ぎます。言葉に対するアンテナを高くして活動に取り組みたいです。マラソンって42.195キロ走りますが、42年というのを自分の中で節目だと思っています。だからあと5年のうちにいろいろやらなくちゃと思っています。 ---ありがとうございました! <了> 三遊亭 歌之介さん 活動情報
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