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電撃引退した元バスケットボール選手 渡邉裕規さんチームの雰囲気を変えるムードメーカーでもあった。
電撃引退ではなく、前から決めていた。チームの雰囲気を変えるムードメーカーでもあった。

ご経歴だけ拝見しますと順風満帆にプロになられたなぁ~と受けとめていたのですが、大学から社会人になる時もスカウトされましたよね?

青学では勉強とバスケの両立がすごく大変でしたが、2年生頃からスタメン出場できたおかげで、卒業間際にはパナソニックから声を掛けてもらいました。僕はギリギリまで追い詰められないと力を発揮しないタイプ。パナソニックに入部してからは叱ってくれる人がいなかったので、ダメ出ししてもらえず、試合に出場できない時期もあった。持ち上げられると調子に乗るので、謙虚さを忘れてはいけないと改めて自分を振り返りました。僕はどちらかというと性格的にプラス志向ではないですね。

ご自身に対して厳しいですが、3年でパナソニックバスケ部休部という憂き目に遭われても、リンク栃木ブレックスへ移籍されたのは幸運でした。

今自分の立場で何を求められているかを見失ってしまうとうまくいかない。バスケでいえば試合に出られない。必要とされなくなってしまう。栃木に移ってからはダメ出しをして叱ってくれる人がいました。その人に言われたのが「渡邉はどういう存在で、どういう人間なのか?」を徹底して問われました。コートでどんなプレーをすべきか、後輩にとってどんな影響力をもっているのか、など言ってくれる人がいたから4年間いいプレーができました。

4年間のブレックスでの経験があったからこそ、優勝に大きく貢献されたと思います。そして衝撃の引退宣言となりましたが…。

おまえの活躍がみたいと言われ頑張ってきた面もありますが、3年間は優勝一歩手前で勝ちを逃した。なぜ勝てないのか?チームでどう勝つか?を考え抜きました。個人よりもチームとして輝くために、誰かが誰かを思ってプレーする。勝てなかった3年間があったからこそ4年目は精算できた。もうすべてやり切った感があった。悔しさはなかったし、勝っても負けてもバスケ人生を終えようと思っていました。

こんなに活躍されているのになぜ?…と、とまどうファンも多かったと聞いています。バスケ選手は子どもの頃からの夢だったのでは?

子どもの頃はサッカー、習字、水泳とミニバス以外にもひと通り習い事をしていました。兄はピアノにも通っていました。プロバスケット選手になろうと思っていたわけではないのですが、バスケを始めてからはバスケ選手への憧れはありました。引退は突然決めたことではありません。ただ30歳という年齢をターニングポイントとして捉えていて、30歳になる手前で辞めようと心に決めていたことです。

ゴールに切り込んでいく華のあるプレーなどでファンを魅了。

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