バスケ人生に悔いはないとのことですが、リンク栃木ブレックスでの4年間と、その前の学生時代を振り返るとどうですか? 僕にとってバスケという職業は、例えるなら『補助輪なしの自転車をやっと乗りこなす子ども』みたいなもの。「手を離さないで支えているから大丈夫」と言われて、いつの間にか補助輪なしで走れるようになる。それと同じで、僕はめちゃめちゃ幼くて自立していないことも多かったです。 うちは普通の家庭で許されていることが全然許されなかった。携帯を持てずメールも、夜遊びに行くことも、友達の家に泊まることもダメ。とにかくガチガチに厳しくダメなものはダメ。そのうえ学生時代は練習が厳しくて、高校では週7日練習。なんの娯楽もなく、しんどい気持ちも麻痺するくらい。当時は屍(しかばね)が歩いているみたいでしたよ(笑)。 よくぞそんな厳しい環境に耐えてこられましたね。どうして乗り越えられたのですか? 負けたらまた練習ですから。せめて何で報えるかといえば、勝ってインターハイに出ることしかない。世田谷学園のバスケ部顧問は厳しい指導者でしたが、僕とは相性がよかった(笑)。自分の子を出場させてほしい親が父母会に出ても一切目を合わせないし、スポーツ推薦も一般入部者もどちらにも平等に機会を与えてくれた。「同世代の高校生は遊びに行っている。対しておまえたちは青春時代を割いてバスケの練習をしている。遊んでいる奴には練習の意味は見出せない」と言われた時に、確かに勝たないと意味がないと思いました。「勝て!」ではなく、「やっていることを無駄にするな」という言葉で語ってくれたので、僕はモチベーションがあがりました。 厳しい環境で良い指導者がいると燃えるタイプですね!渡邉さんにとってバスケとは? 好きなことをやってきた僕は、20年のバスケ人生で辞めたいと思ったことがないんです。ダメ出しをされたことがあっても、親にあーしろこーしろと言われたこともない。小学生くらいの頃は吸収力があるから、ある程度何でもできるようになる。でも本当にバスケ選手になりたいなら、田臥選手のようにNBAでやりたい!と念じて思い続けることです。僕自身のこれからもめちゃめちゃ念じています。 今後も渡邉さんを応援するファンは多いと思います。最後にリンク栃木ブレックスとファンへメッセージをお願いします。 僕にとっては指導者との出会いに恵まれていました。今季、リンク栃木ブレックスは僕の恩師、長谷川さんが監督に就任します。素晴らしいバスケットをする人です。ブレックスは10年目の昨季、いろんなことがあって勝っている時も負けている時も信じ続けていたからこそ優勝した。栃木でプレーできる環境に感謝してほしい。楽しんで、幸せを感じながら育ってほしい。そして、ファンの方が応援してくれるからこそ根を張ってプレーができる。選手とファンお互いが信じあってやってきたチームだと思います。これからもチームを信頼して応援してほしいですし、幸せを共有できるといいなと思っています。 ---ありがとうございました! <了> リンク栃木ブレックス情報 B.LEAGUE 初代王者に輝いたリンク栃木ブレックス。
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