渡邉 裕規(わたなべ ひろのり) 元プロバスケットボール選手。パナソニック・トライアンズの休部にともない、2013年にリンク栃木ブレックスに入団。現役時代は、攻撃的な司令塔としてプレー。ラジオのレギュラー番組を2年以上務めるなど、ファンからは「ナベ」の愛称で愛され、「ナベタイム」と呼ばれる当たりだすと止まらない爆発力のあるオフェンスでチームを勝利に導き、またムードメーカーとしても唯一無二の存在として活躍した。» リンク栃木ブレックス 公式サイトはこちら» リンク栃木ブレックス 公式Twitterはこちら Bリーグ 1stシーズンでの優勝おめでとうございました。大活躍されたのに突然の現役引退宣言、ビックリでした。バスケを始められたきっかけは何でしたか。 3歳違いの兄がバスケット(ミニバス)をやっていて、僕は小3途中まではヴェルディ川崎傘下のクラブチームでサッカーをやっていましたが、家族の休みを合わせる理由で僕もミニバスに転向。兄は小6で同じチームにいました。単なるクラブ活動というより県内のさまざまなチームと交流試合をするために電車に乗って遠征もしていたミニバスでしたが、川崎市内で一番強くはなかった。兄はその後大学までバスケを続けて、今は両親と同じく中学校の教員になりました。 ご両親が教員のご家庭でお育ちになられて、渡邉さんは教師を目指さなかったのですか? 父は体育教諭、母は国語教諭でしたが、僕は別段先生になりたいと思いませんでした。高校、大学とバスケットの推薦で進学しましたが、中学は公立なのに越境通学。特にバスケは強くなかったのですが、ミニバスで一緒の皆が行く近隣の公立ではなく、友達がほとんどいない学区外の学校を選んだ。ミニバスチームのメンバーが集まっていれば確かに強いかもしれないけれど、目立つことはできない。逆に、学区外の学校はミニバス経験者はいなくて中学から始めた人が大多数。12歳の僕にとっては、越境を選択したことが大きかったです。 意思をもって選択されていたのは今の渡邉さんにも通じますね。バスケで目立っていこうという目論見は当たりました? 中2の時に神奈川ジュニアオールスター12名に選ばれました。僕の中学では僕しか選出されず、高校への推薦が付くと思って頑張っていましたが、中3の夏の大会終えても一つも(推薦が)こなかった。川崎市選抜の選手にはたくさんオファーが来ているのに、どうして??と屈辱的な思いをしました。なぜ俺にはこないのだろう?と友達に聞いたら、「おまえのバスケは伸びないって、言っていた」と大人が話していた内容を辛らつに友達から伝えられ、それを真摯に受け取めるしかなかった。やっと声を掛けてくれた一校が、世田谷学園でした。 こんなに活躍されたのに、ずっと評価がよかったわけではないのは意外です。でも世田谷学園に進学されてよかったのでは? 僕は常に「選ばれなかった」という気持ちがあったから反骨心をもっていました。ある試合で結果を出せた高1の夏くらいからはずっとスタメンで出場。周りは皆スポーツ推薦で入部してきたデキル人ばかり。僕も一応スポーツ推薦でしたが「入れて頂いた」という感覚でした。まず試合に出よう、出たら必ず活躍しよう、活躍したらスタメンになろう…と段階を踏んで意識を変えた。その後、東京の混合チームとして国体出場で二連覇し、青学から声を掛けられました。思いがけないことで「人違いだろうな」と思っていたんです。 |
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