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■お医者さんになろうと意識したのは、いつ頃からですか? 中学、高校くらいからですね。医師というより「女性を助ける仕事がしたいな」と思って、その選択肢として医師があった。小さな頃の夢は、「世界中の野良犬を集めて育てる!」というほど犬好きで。犬と見れば、寄って撫でて連れて帰る……という子どもでした(笑)。
■医学部に合格されたのはストレートで? 東大医学部目指すからと予備校生活を許してもらいました。浪人中は東京の大手有名予備校に通いましたが、周りはエリートばかり。お母さんの手編みのセーターとか着て勉強している男子とか、それまで見たことがなかったのでおもしろかったですよ(笑)。そこで会った全国各地のお友達と仲良くなって、医学部に進んでからもそれぞれの故郷を泊まりっこをしたり。
■楽しそうですね。それで、大学で医学部に合格された? はい。大学は戦後、祖父の心血を注いで拡充した国立弘前大学の医学部へ進学。入学式の初日に教授陣が「お爺様には大変お世話になりました。何かお困りのことがあったら、何なりとお申し付けください」と挨拶に来られて。しまった!と思ったのですが既に遅し……。
■黒塗りの高級セダンで送り迎えなんかもあったり? 黒塗りではなかったですが(笑)。勉強しないと目立ちますよね。大学時代は、趣味のピアノをいかしてロックバンドのキーボードを担当していたんですよ。医学部の6年間ずっとバンド活動はしていました。
■意外です!先生はやりたいことを実現するために、どのような心構えで初志貫徹をされました? 「ルリ子は家も裕福で、勉強もできるし、女の子としても魅力がある。でもハングリー精神がないから大成しない」「医者になるには患者の痛みがわからないといけない」とか、色々と言われてきて落ち込んだり、「じゃ、私の存在価値って何だろう?」と考えたりしました。でもね、とにかく私なりに人の役にたつことを探して、明るくやさしく豊かな気持ちを分け合いたいと思ったんです。今は、医師になって女性の役にたちたいと思ってから25年近くたって、少しずつ形になってきた。形になるまで何十年掛けても、あきらめずに夢を持って生きているといつか叶うと思っています。女性の寿命は長いですから、長いスパンでね(笑)。
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